静寂の音が鳴り響く、寂しいときに泣けなくなった大人のための傑作集――「ミシンとナイフ」(志村志保子)


「ミシンとナイフ」(志村志保子)には静寂の音が鳴り響いている。

今回取り上げている「ミシンとナイフ」は、もともと刊行されていた「ミシンとナイフ」と「ブザー、シグナル ゴー ホーム」の2冊の単行本から選んだ作品5本と未収録作品1本を収録した文庫版だ。いずれも古い作品で、もっとも新しい「ランゲルハンス島まで」でも14年も前の作品になる。

だけど、少しも古びていなかった。

僕はこの作品を、いつもどおり移動中に読んでいた。話し声と走行音が混ざり合う電車の中、次の停車地点を告げるアナウンスが響くバスの中、そういうところで僕はだいたいマンガを読んでいる。いろんな音が耳に入ってくる。だけど、「ミシンとナイフ」に目を落とすと、音なんて存在しないんじゃないかという静けさが広がる。

「シーン」という擬音をマンガに持ち込んだのは手塚治虫だといわれている。紙の上で「シーン」という音を鳴らした手塚の功績は大きい。だけど、志村志保子の「静寂」は、そういう技法で作られていない。

たとえば、雪を降らせる。真っ白な画面にぽつんとキャラクターを立たせる。鳴っているはずの音だけを、あえてコマの外にモノローグ的に差し込む。あるときは「にゃーにゃー」という猫の声を細っこい文字でコマ中に描き込むことで、それ以外何も聞こえない静けさを演出している。

そうして鳴らされる志村志保子の静寂には、「シーン」にはない叙情がある。少し寂しくて、だけど美しくて、つらいのに目に焼き付けておきたくなるような静けさなのだ。

そういう技法は別に取り立てて珍しいわけでもないし、彼女の発明というわけではないだろう。だけど、志村志保子の静寂には、単なる技術以上の力がある。

「ミシンとナイフ」に収録されている作品は、どれも孤独を描いている。「ひとりぼっちである」という孤独ではなく、誰といても、どんなに笑っていても、いつも心の中に引っかかっているような、癒しがたい寂しさ。寂しいからって大声で泣けるような年ではなくなった人たちが、ひっそりと抱えている痛みだ。

たぶんこの作品で鳴っている静寂は、そんな寂しさや孤独そのものの音なのだ。だから、一見なんてことのないページやコマに胸を打たれてしまうんだと思う。

「少女マンガは恋愛ばっかり」というのは今も昔もおおむね正しい。このジャンルではいつも恋愛こそが王道であり、花形だ。

だけど、少女マンガが恋愛を描くのは、おそらくそれが楽しくて輝かしいものだからというだけではない。寂しい気持ちがあって、その出口を探しているなかで、恋愛が選ばれることが多いという理由もあるんだと思う。だから、ときどきこういう作品が出てくる。別に恋愛物語というのじゃないけど、だからといって男性誌では絶対に出てこなそうな切なくて愛おしい物語が。

「少女マンガなんて」と思っている人は「ミシンとナイフ」を手にとって欲しい。ドキドキ・キュンキュンだけが少女マンガじゃないのだ。

(本作は1巻完結です)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。帯はとっておく派ですが、カバンのなかでよく破いてしまったりもするので、あんまり気にしないことにしてます。今まで特に書いていませんでしたが、仕事のご相談とか普通に承っています。Twitterアカウントは@frog88

関連リンク
短編集/ミシンとナイフ| 集英社文庫(コミック版)|BOOKNAVI|集英社

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