「百聞は一見にしかず」という言葉があるけれど、ときどき一聞が一見に勝ってしまうときがある。「謎のあの店」(松本英子)はそういう作品だ。
ぱっと見、営業しているんだかしていないんだかわからないお店、本当にこれで商売が成り立っているのかという商店街のしなびたお店、流行なんかとはまったく違うベクトルに振り切っているお店などなど……。気になるけど、実際に入るにはちょっと勇気がいる店というのがある。たぶん誰でも、当たり前の景色のように見てはいるけど、ついぞ入らず終いだったなんてお店があるはずだ。
本作は、そんな怪しげなお店に松本英子が実際に足を運び、レポートしたマンガだ。
ちょっと変わった名店、隠れた地元の人気スポットのレポートは雑誌などでもよくある。だが、本作では、本当に気になっているだけで、そもそも名店かどうかすらわからない(というか、名店を紹介したいわけではない)お店を取り上げている。
特に第2話なんかはすごい。やってるのかやってないのかもわからないような、窓に「パーマ」なんて書かれた街の美容室に行っているのだ。食べ物なんかは、多少ひどいものが出てきたとしても、その場さえしのげば、あとは笑い話になる。しかし、髪は失敗したらしばらくはなかなか取り返しがつかない。さすがの彼女も長年迷った様子が描かれているが、結局好奇心が勝った。しかも、入店のときには「コレで“パーマやんなきゃ根性なし”」とまで思い詰めていたフシまである。底なしの好奇心だ。
こういうお店に行くこと自体、自分では勇気が出ない。だからこそ、松本英子のレポートは面白い。
だが、本作の面白さの真骨頂は「人がやらないことをしている点」ではない。たとえば、美容室の話。松本は店の内観から、状況、やりとりを事細かに描写し、独特の雰囲気を描き出している。
自分が実際に行ったらどうだっただろう、と思う。さびれたお店にふらっと入ったことはあるけれど、「意外と美味しかった」とか「やっぱりイマイチだった」くらいは覚えていても、それ以上の何かを見つけられることはほとんどない。この美容室も本作を読むと「行ってみたい!」と思うけれど、読まずに足を運んだら、「あー、何だ、この店?」で終わってしまう気がする。
そう、たぶん“謎の店”の魅力は、自分で行くよりも、松本英子の話を聞くほうがわかるのだ。彼女がその味わい深さを教えてくれることで、僕のようなニブチンはようやくその楽しみ方に気づける。何となく感じる魅力を、彼女の語り口が何倍にも膨らまし、より魅力的にしてくれる。
百聞は一見にしかず。だけど、松本英子の“一見”は、僕らの“一見”を遙かに凌いでいる。だから、彼女からの“一聞”はこれほど魅力的なのだ。
(このレビューは第1巻時点のものです)
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。この時期になると毎年スピッツの「夏が終わる」を聞きます。仕事のご相談とか承っていますので、お問い合わせかTwitterでお気軽にどうぞ。Twitterアカウントは@frog88。
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朝日新聞出版 最新刊行物:コミック:謎のあの店
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