紙の上でどうやって音楽を奏でるか? そのひとつの解答——「四月は君の嘘」(新川直司)


紙はコンサートホールでもミュージックプレイヤーでもない。だから、決して音を鳴らさない。

この当たり前でシンプルな事実は音楽マンガにとって永遠の課題だ。音の鳴らない世界で、音楽の感動を読者に伝えなくてはならない。

「四月は君の嘘」(新川直司)4巻に収録されたエピソード「赤と黄色」は、その課題に対するひとつの解答だと思う。

元天才ピアノ少年である中学生・有馬公正と、彼をめぐる少年少女たちの物語であるこの作品は、熱血音楽ものであり、恋物語であり、成長譚でありと、さまざまな要素を含みながら展開される青春物語だ。

4巻はピアノコンクールのエピソードが続く。「赤と黄色」もそのひとつで、公正と同世代の少女・井川絵見の演奏が描かれている。

コマ構成や描写の緩急を付けながら描かれるその演奏シーンは、まるで音楽そのもののように迫力を持っている。構成力だけ取っても強烈だ。

しかし、「赤と黄色」における音楽の存在感は、むしろ演奏描写とは別のところで際立たされている。演者である井川絵見の心情描写だ。

「赤と黄色」は、演奏と平行して井川絵見自身の回想が展開される。ピアノに出会った日の衝撃と感動、そして、それゆえにある今の彼女の怒りと孤独。回想とモノローグは、彼女のそんな心奥を露わにしていく。

それは演奏自体の描写とは無関係だ。だが、その激情に触れた読者は自然に想像する。そこに鳴っているはずの音楽を。

音楽が言葉にならない何かを表現したり、人の心を揺さぶるものであるとしたら、結果的にこの回想とモノローグは、上質な音楽を聴いているのと同じ感覚を読者に与えてくれている。だから、「赤と黄色」では、「四月は君の嘘」では、確かに音楽が奏でられているのだ。



(このレビューは第4巻時点のものです)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。この時期になると毎年スピッツの「夏が終わる」を聞きます。仕事のご相談とか承っていますので、お問い合わせかTwitterでお気軽にどうぞ。Twitterアカウントは@frog88

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