変わらないという静かな変化——「繕い裁つ人」(池辺葵)


入り口から一歩入った室内に、ポツンと置かれたミシンとその主である女性。「繕い裁つ人」(池辺葵)で描かれる南洋裁店の風景は、基本的にたったそれだけだ。そこには寂しいような、それでいて凛としているような、不思議な静寂さが漂っている。

仕立て屋である彼女の仕事場は、現実であればここまで簡素ではないはずだ。仕事道具だってたくさん必要だろうし、布もたくさん置かれるだろう。実際、同じく作中に登場するテーラー橋本の店内はもっと雑多だ。服も布も、ポスターなども描き込まれている。だが、南洋裁店だけは、ただただ、ミシンと彼女だけが描かれている。まるで外界の時間と無関係な場所であるかのように。

前述のとおり、本作の主人公・南市江は祖母の仕事を継ぎ、仕立て屋を営む女性だ。仕立て屋という職業自体が今はあまり馴染みがない人が多いだろう。オーダーメイドで服を作ると同時に、仕立てた服や既製品などを体のサイズ変化に合わせて仕立て直していく仕事だ。着られなくなった服は処分し、新しい服を買うのが一般的な時代に、自分だけの服と一生をともにする彼女とその(決して多くない)顧客たちの暮らしは新鮮だ。ともすれば、現実感のないファンタジーにも見える。

だが、このファンタジーには、懐かしく美しい手触りがある。

明治以来、日本の基本思想は一貫して成長と変化だった。「富国強兵」「所得倍増」「経済成長」、言葉は違えど、「前へ前へ」「少しでも現状から変化を」というフレーズだ。バブル崩壊後の経済的停滞感は、「スローライフ」といった価値観も生み出してはいるが、一方で終身雇用の崩壊といった社会不安は「成長しなければ」「変化しなくては」という強迫観念をいっそう人に強いるようになった。
10年前と同じことをしている自分を見つけたら、不安を覚えるようになってしまった。

南市江の生き方は、そういう強烈な成長志向の輪から外れている。ずっと昔に作ったものを、何度も何度も同じように着られるように仕立て直す。効率化や業務拡大とは無縁に、自分の手仕事だけに終始する。それは一見気ままな生き方に見えるが、変わらないためには不断の努力がいる。変わる時代や人の暮らしのなかで、変わらずあり続けるということは、見えない変化と成長を繰り返すことだ。

彼女はたぶん、自分が最後にあるべき場所にすでにして立っている人だ。10年経とうが20年経とうが、変わらずミシンと向き合い続ける、そういう人なのだと思う。それは、必ずしも幸福なばかりではない。祖母が作り上げた店とその輪を、いやも応もなくただ引き継いでいることが、彼女の心を揺さぶることもある。

だが、めまぐるしく変化と成長を要求する社会で、変わらないという静かな成長の意味と価値を、「繕い裁つ人」は美しく提示してくれている。南洋裁店の風景のように、凛と静かに。



 

(本レビューは第3巻時点のものです)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。最近Twitterで「妖怪レンゲ舐め」と呼ばれるようになってしまいました。インターネット怖いです。Twitterアカウントは@frog88

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