今日はレビューを始める前に大事な話がある。諸君、「ムチムチ」と「ぽっちゃり」は違う。もう一度いおう。「ムチムチ」と「ぽっちゃり」は違う。
「ぽっちゃり」というのは、基本的に柔らかさを含んだ形容だ。いったらマシュマロとかそういう類いのものだ。対して「ムチムチ」はみっちりとした肉感がある。茹でたソーセージのようなプリッとした感じだ。マシュマロとソーセージを一緒にするやつはいないはずだ。だから、「ぽっちゃり」と「ムチムチ」は違う。全然違うのだ。
さて、マンガのレビューを読みに来たはずなのに、いきなり何の興味もないフェチ話を始められて、たぶん読者の9割くらいはすでに脱落しているのではないかと思う。だが、逆にここまで読み進めた人はもう今日の作品はバッチリ肌に合うはずだ。「先生!! 原稿下さい。」の中島守男は、「ムチムチ」の職人なのだ。
本作はエロティックなホラーサスペンスを得意とする大物作家・柿内十鉄と、その原稿をもらいにくる女性編集者・木村紗和の掛け合いを延々描いた作品なのだが、この木村さんがもうムチムチなのだ。太ももとか腰回りとか、ムッチムチとしかいいようがない素晴らしい重量感。前作「吉田家のちすじ」もそうだったが、中島守男の描くムッチリした女性を見るたびに、心の中で何度も「わかってる……! 中島先生はわかっていらっしゃる……!」と叫んだものだ。ヒロインというのはどうしても細めに描かれてしまうことが多く、ムチッとした感じが好きな人間はいつも涙を飲んでいる。だからこそ、ぽっちゃり系の雄・モリタイシと並んで、ムッチリ系の奇才・中島守男は我々にとって得がたい存在なのだ。
だが、素晴らしいのは造形だけではない。フェチマンガというと、ただのエロになりがちだが、本作で柿内先生が繰り出すのは中学生エロ。エロワードをいわせようとしたり、パンチラを狙ったりと、どこか無邪気さのあるエロで、描写としても裸はほとんどない。徹底的にシチュエーションと体のパーツだけでフェチを描いている。
そして、最大のポイントは木村女史のセクハラのさばきかただ。子どもみたいな先生のセクハラに、いらだってはいるものの、本気で怒るというよりは、あきれつつ、子どもをあしらうようにいなしている。要するに、なんだかんだいって甘やかしてくれているのだ。
そういう意味で、中島守男のヒロイン像は、いつも聖母的だといってもいい。男をバカだと思いつつ、バカであることを認めて、諦めて付き合ってくれる包容力がある。そんな性格を含めて、中島のフェチズムは完成度が高いのだ。
(このレビューは第1巻時点のものです)
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。こういうレビューを書くたびに、オフラインで会う人の僕への視線が生暖かい感じになっていきます。Twitterアカウントは@frog88。
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