世界の“底”としての親――「人間仮免中」(卯月妙子)


ダンナの事業の失敗からスカトロAVに出演し、子供の頃からの統合失調症が悪化、それでも子供を育て……。そんな日々をあけすけともいえる素直さで綴ったエッセイマンガ「実録企画モノ」「新家族計画」の卯月妙子が10年ぶりに「人間仮免中」を出版した。

「人間仮免中」では前作以降の日々が綴られる。ダンナが死亡し、閉鎖病棟と自殺未遂を経験した後、それでも落ち着いていた36歳の卯月が、ボビーという25歳年上の男性と恋人同士になる。細かなエピソードの積み重ねで綴られる二人の生活は、もちろん前作同様、決して平坦な日々ではない。が、そんな日々を卯月は、これまでの作品よりもよりあっけらかんとした湿度の低い口調で綴っていく。

本書はまさに卯月の人生を描いたものだから、読む人によってさまざまな読み方ができる。愛情の物語、闘病の物語、表現者の物語などなど。帯に一文を寄せたマンガ家の井浦秀夫は「愛と冒険の物語だ」と記している。

そのうちの一つに親子の物語としての読み方もある。前作「新家族計画」で小さかった卯月の息子のシゲルが真っ直ぐな高校生となって登場するのもうれしいのだが、ここで注目したいのは卯月の母のほうだ。

本書は大きく二部構成になっており、第二部は「歩道橋バンジー編」。タイトルのとおり、卯月が歩道橋から顔面ダイブした後の内容だ。毎日お見舞いに来たという卯月の母は、明るく、ポジティブで、娘から妄想混じりの手紙を受け取っても上手く受け流す。幻聴で悩めば「大丈夫。あなたは生きてここを出るの」と励まし、最終的には「こんな精神科に娘を入院させられるか」と啖呵をきって、病院に不安を感じる娘を守る。

退院後、渋谷に出かけたところ、精神的に限界になってしまった卯月が帰り道「お母ちゃん 電車の中でずっと手をつないでもらっていい」と甘えると「うんうん」と手をつないであげる母。このくだりを読んだとき、少し状況は違うが宮沢賢治の「貝の火」のラスト、自分の欲望が原因で失明した息子ホモイを前にした、父親の姿を思い出した。

お父さんが腕を組んでじっと考えていましたがやがてホモイのせなかを静かに叩いて云いました。「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、一番さいわいなのだ。目はきっと又よくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな。」

親は子供にとって世界の“底”だ。子供の住んでいる世界の“底”が抜けそうな時、抜けてしまった時、その底を支えられるのは親だけだ。そのふるまいにおいてホモイの父と、入院の時に現れる、卯月の母の笑顔には通底するものがある。そしてそこに卯月は間違いなく救われている。

だからこそ巻末にある「ザ・後日談」の中で描かれる母の様子とそれを受け止めざるを得ない卯月の姿には胸を締め付けられる。

だが、そこに娘の前で明るくしていた母が、聖人でなく、ただの親の愛情で頑張っていただけの普通のお母さんであることも記されているようで、改めて入院のシーンの笑顔が胸に残るのである。

記事:藤津亮太
アニメ評論家。著書に「『アニメ評論家』宣言』(扶桑社)、「チャンネルはいつもアニメ―ゼロ年代アニメ時評」(NTT出版)。WEBサイト「ぷらちな」にてアニメ時評「帰ってきたアニメの門」(http://www.p-tina.net/animenomon/452)。ブログは「藤津亮太の『只今徐行運転中』」、Twitterアカウントは@fujitsuryota

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