生者と死者。空中を漂う浮遊感たっぷりのヒューマンコメディ――「まじめな時間」(清家雪子)


古今東西、人の死を扱った作品は無数にある。本作、「まじめな時間」(清家雪子)もそのクチだが、何よりこのタイトルにそそられる。だって、このジャンルの映画でまず思い浮かぶものといったら、デミ・ムーア主演の「ゴースト」。あまりにも、まんますぎるタイトルじゃありませぬか。その点だけでも、こっちの勝ちである(今はオリンピック開催中だから、どうしても「勝ち負け」って感覚になっちゃうのだね)。

冒頭で、いきなり主人公の女子高生・植村一紗が車にはねられて死ぬ。一紗はそのまま霊となり、自宅や学校を行き来しながら、「自分亡き後」の様子を見つめるというのがストーリーの基本設定だ。もちろん、そこには自己と他者との感覚の違いがあるから、家族も友人も期待どおりの反応を見せてくれないことにヤキモキする。霊である自分には誰も気づいてくれないし、何かを伝えたくても届かない……。

このもどかしさ。切ないよねー、悲しいよねー。常に部外者扱いされちゃうんだから、現実だったら最悪だ。もう死んじゃってるけれど、死ぬほど苦しい。

生きている者との疎通は不可能だが、霊仲間にはさまざまなキャラが登場し、隣のおばあちゃんと再会したり、火事で焼死した子どもたちと仲よくなったりする。妙に説教臭いリーダー的な存在もいて、「オトナ対コドモ」の対立図式の象徴にされている。

人の死をメインに据えた作品なのだから、重々しい雰囲気になるかと思いきや、そんな感じは微塵もない。一紗をはじめとする霊たちがみな空中に浮遊して移動することもあり、それが物語全体のフワフワ感を演出しているからだ。そのあたりは、空のブルーをバックにしたカバーイラストでも、見事に表現されている。

どういうジャンルに入れるべきか悩む作品だが、入れるならラブコメでいいと思う。好意を寄せていた男子には別の女子が接近していて……な場面などは、読んでいてハラハラさせられる。そして、しばしば見せる一紗の自虐的なギャグもいい。生死を扱う作品の割に読み味がさらっと軽いのだ。

一紗は、自分に訪れた突然の死という不可逆の環境変化によって、初めて「生」を認識したのだろう。これから、彼女がどのように「まじめな時間」を過ごすのか、見守りたい。

(このレビューは第1巻時点のものです)

記事:浮田キメラ
幼少時よりのマンガ狂で、少年ジャンプ創刊号をリアルタイムで買った経験もある。
「上手にホラを吹いてくれる作品」が好み。

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アフタヌーン|まじめな時間|作品紹介|講談社コミックプラス

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