10月終わりからしばらくの間、書店はとても幸福な場所になっている。多くの書店で「ゴーグル」(豊田徹也)が、豊田徹也の作品が手に取りやすい場所に積み上げられているはずだからだ。
豊田徹也という作家はとにかく寡作だ。四季賞大賞を獲得してデビューしたのが2003年。それから約9年、刊行された単行本は本作を含めて3冊こっきりだ。しかも、調べるかぎり、未刊行作品がたくさんあるわけでもない。「アンダーカレント」、「珈琲時間」以外では、とにかく描いたものあるだけ全部今回の短編集「ゴーグル」に収録されているという。
なんでまたそんなに寡作なのかは、一読者にすぎない僕があずかり知るところではない。わかっているのは2つのことだけだ。彼の数少ない作品は、たった数本にも関わらず、少なからぬ読者を魅了しているということ。そして、僕を含めたそういう読者が新作の刊行を心待ちにしていたということだ。そして今、3年ぶりの新刊が書店に並んだというわけだ。
「描いたもの あるだけ収録した」と帯に書かれているように、「ゴーグル」には(キャラクターのクロスオーバーはあるものの)雑多な作品が収録されている。貧乏神を主軸にしたコメディライクな「スライダー」、子どもの頃に仲が良かったおじさんを探す「ミスター・ボージャングル」、とある銀行の不正疑惑と思い出のとんかつ探しが交錯する「とんかつ」など、ワンテーマでくくるのは難しい。だが、そのどれもが豊田徹也らしく、読後に晴れ晴れとした寂寥感のようなものがにじむ。
とりわけその個性を感じさせるのは、表題作であり、デビュー作である「ゴーグル」だ。一言も喋らない、ゴーグルをかけた少女と暮らすことになった青年の生活を描いたこの短編は、屋外のまぶしさが印象的だ。
「ゴーグル」に描かれる空はそのほとんどが、すっぽ抜けたように真っ白になっている。単に雲や空の表現で手を抜いたわけではないだろう。何しろ、ほかの背景はぎっちりと描き込まれているし、ほかの収録作ではスクリーントーンを使って青さや雲を表現している。「ゴーグル」の空のまぶしさは意図的な演出だ。
だが、「ゴーグル」の空をまぶしくしているのは、その白さではない。風景の暗さや影だ。本作では、屋内はもちろん、屋外でも逆光のアングルを徹底し、キャラクターの姿や顔が薄暗くなる場面が多用されている。その暗さが、真っ白な空を眩しく感じさせているのだ。
それは単に演出技法に過ぎないが、このありようは豊田作品を象徴しているかのようにも見える。「ゴーグル」収録作の登場人物たちは、みなちょっとうらぶれている。ろくでなしではないにせよ、お堅いサラリーマンというより、自由人っぽいタイプが多い。あるいは、後悔や傷を抱えている。
豊田作品は、そうした人々を単純なハッピーエンドへは導かない。物語の終わりでも、彼らの暮らしは変わらないし、魔法のように傷がなくなるわけでもない。
だが、そういう彼ら、彼女らの向こうにはまぶしい空がある。それは内側に影や暗さを抱えた側から見ると、安易に希望を見せてくれるような明るさではなく、その明るさは強烈すぎて痛々しくさえ感じられる。それでも、たとえ救ってはくれなくても、暗い僕らの向こうには、無慈悲なまでに明るい空が広がっている。
そういうまぶしさが、「ゴーグル」の、豊田徹也作品に寂しげで、だけど清々しい救いを与えているのだと思う。
(本作は単刊作品です)
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。最近、ヘッドホンを替えました。あと、タバコを軽いのに変えたりもしました。Twitterアカウントは@frog88。
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