「死因=カラスヤサトシ」で俺が死ぬ――「モテないのではないモテたくないのだ!!」(カラスヤサトシ)


本書は危険な作品である。

まずタイトルからしてヤバい。「モテないのではないモテたくないのだ!!」。

普通なら「アイタタタタタ……」という苦笑いで済むのだろう。何なら「そんなこといってる奴いたな(笑)」くらいの感じでスルーされたりするんだと思う。何しろ本作は中学生を主人公にした自意識系思春期モノだ。真っ当な大人なら赤面しつつも笑って読める。

だが、“現役”だとそうはいかない。まずタイトルを読んだだけで残機が2機減る。「うわー、またイタイ名前を……」とか思ってニヤニヤしてると、その後ろから自分Bが「いや、あなた今もTwitterでそんなことよくいってますよね。真顔で。31歳にもなって」って話しかけてきて振り返る間もなく即死する。

で、「いやいや、そんな。いうても僕、いい大人ですから、そこまで酷くないですよ。笑って読めますよ」とか強がって買うじゃん? 読むじゃん? 死ぬじゃん。普段接点のない女の子に話しかけられるだけで好きになっちゃうとか、中学生にありがちなチョロさ描写で、「お前のことだな」って自分Bに冷酷に告げられて、また1機減るじゃん。「お前、この前『“用事はないけどメールしちゃった☆”みたいなメール貰ったことないから、ちょっと送ってみてくれない?』って頼んでデコメ送ってもらってたよね」って、余計なこと暴露されるじゃん。

「いや、でも、まさかこんな中学生みたいなことさすがにないっすよ。女の子と喋るくらいでどもらないっすよ。いい加減にしてほしいっすよ」と思いながら読み進めると、何か当時大阪の中学生にとって定番だったデートスポットの話とか出てくるじゃん? 死ぬじゃん。「お前、デートスポットって男としか行ったことないらしいな。お前、デートスポットって男としか行ったことないらしいな」って自分Bがふかわりょうのマネしながら詰め寄ってきて1機減るじゃん。

もうヤバい。カラスヤサトシで残機がヤバい。終始こんな感じだから、本編118ページを読み終えるのに何度も心をコンティニューした。ゲーセンなら破産してる。

「なら読まなきゃいい」と思うかもしれない。でも、面白いのだ。悔しいけど、面白いから読んでしまうのだ。

カラスヤサトシという人は、これまでもずっと思春期マインドを上手に描いてきた人だ。たとえば、突然の結婚までの軌跡をレポートした「結婚しないと思ってた オタクがDQNな恋をした!」も、どこか非モテ臭のする思春期っぽさを引きずって描いているが、僕はそれを割と明るく笑って読んでいた。

そうした作品群は基本的に“今のカラスヤサトシ”を描いていた。実はそのほうが僕にとっては安全だったのだ。そこで描かれるカラスヤは、失敗ばかりするし、滑稽だけど、逆にいえばある程度きちんと行動をしている。アクションを起こしているから失敗もできる。

だけど、自身をモデルにしながらフィクションとして思春期を描いている本作はヤバい。そこで描かれるのは、アクションの少なさゆえの痛々しさだ。タイトルからして、失敗したくない、失敗するくらいならしたくない、という気持ち満載だ。

思春期は(少なくともたいていの男にとっては)、どうあがいてもみっともない。暗い青春を送ってきた人間はもちろん、たぶんいわゆるリア充側の人間だって、冷静に振り返れば「あれ、イタかったな……」という思い出がいくつも出てくるはずだ。思春期とは、そういうふうに、きちんと失敗するための期間なのだ。

「モテないのではない~」のいくつかのエピソードには、何ともいえない切なさがある。そういう切ないエピソードは、どれも100点ではないけれど、それなりにきちんとアクションと失敗できているものなのだと思う。そういう失敗は、そのときは情けなくても、振り返れば一種の美しさすら感じさせてくれる。

だからこそ、うまく失敗することすらできなかった物語はエグい。うまく失敗してこなかったがゆえに、今だにどうにもならない僕のようなタイプを殺しにかかってくる。

私怨でいわせてもらえば、本書は悪書だ。危険だ。「死因=カラスヤサトシ」で死ぬ可能性がある。それくらい生々しいパワーと魅力を持っている。

(本書は1巻完結です)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。仕事のご相談とか承っていますが、今はカラスヤサトシで死んでいます。Twitterアカウントは@frog88

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