彼氏と彼女、両方の視点で描かれるケンカの顛末は? すれ違ったまま「ふたり」でいる幸福――「喰う寝るふたり 住むふたり」(日暮キノコ)


すれちがいというのは、恋愛劇の基本中の基本だ。好き合っているふたりが、誤解や不理解ですれちがい、やがて互いの真意を知って結びつく。カタルシスに満ちた恋愛劇の王道だ。だが、「喰う寝るふたり 住むふたり」(日暮キノコ)は、その逆をドラマにしている。

つき合って10年、同棲して8年、「なんで結婚してないの?」といわれても、もはや理由も分からない。そんな同棲カップルの日常を描く作品だが、本作が面白いのは、同じ時間軸の話を男女それぞれの視点で描いている点だ。

たとえば、ある日の些細なケンカの話。不機嫌な彼氏の様子を見て、彼女のほうは女友達を遅くまで家に呼んでいたことなど、原因を予想して悩む。そして、理由も分からず不機嫌な相手に少しいらだつ。だけど、彼氏側から見ると、実は全然そんな理由ではなかったことが明かされる。態度が悪くなったのもよくわかるだけの理由があるのだ。

描写もいい。彼氏のパートでは、内心の焦りや迷いなどもしっかり表情に出ているが、彼女のほうはあくまで自然で余裕ありげに描かれる。だが、逆のパートになると、同じシチュエーションでも実は内心悩んでいる顔がしっかり絵になって出てくる。もちろん彼氏が悩んでいる様子は絵の上ではなくなる。お互いの主観で見える世界の違いがしっかり作画に表現されているので、それぞれのパートが新鮮に映る。

だが、何より面白いのはそれぞれの物語の結末だ。

「喰う寝るふたり 住むふたり」では、そういうすれちがいは解消されない。先に紹介した不機嫌な彼氏の話も、結局のところ、相手が何を思っていたのかわからないまま仲直りをすることになる。しかも、仲直りの方法すら、実はちょっとすれ違っている。彼女のほうは「胃袋をつかむ」ことでうまくいったというように話をするが、彼氏が感激した理由は少しニュアンスが違う。おいしいとか料理上手だということでなく、朝ご飯を作ってくれたこと自体が重要だったりするのだ。

だけど、それでもうまくおさまる。そこには恋愛ドラマ的なカタルシスはない。だけど、わかり合えずに終わるのが恋だとしたら、わかり合えずなお「ふたり」であろうとするのが愛情であり、家族なのだと、本作は教えてくれる。

(このレビューは第1巻時点のものです)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。今年は取材でたくさんクリスマスイルミネーションを見ました。男2人で。Twitterアカウントは@frog88

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コミックゼノン|「喰う寝るふたり住むふたり」

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