家族という野暮ったくて面倒な関係――「ちっちゃな頃からおばちゃんで」(小山田容子)


「ふるさとは遠きにありて思ふもの」なんて詩がありますが、親元を離れての一人暮らしが長くなると「家族」というのがふと温かく甘美な何かとして心に浮かんできたりします。「あ~、結婚でもしてえなぁ」とか、「灯りの付いてる家に帰りたいなぁ」みたいなね。

でも、何かの拍子に少し長いこと実家に帰ったりすると、勝手な話だけど、今度は一人暮らしの気楽さが恋しくなったりするんですよね。本を読んでるのに、お構いなしで話しかけられたりするでしょ? 「何読んでるの?」「面白いの?」「どんなの?」「今の人ってそんなの読むのねぇ」……ああ、うん、今の31歳がどれくらい僕みたいに少女マンガ読んで泣いたりしてるか、わからないし、できれば親に説明したくもないですし(過去の失恋の話とかにリンクしかねないんだぞ!!!)、ちょっと今俺、この話の続きが気になってるから、30分後にしてくれないかな。

そういうのって、別に家族が悪いわけではないし、何だったらありがたい関係というべきでしょう。いつか懐かしく思い出すこともあるのかもしれません。だけど、四六時中いっしょにいるとき、家族ってどうしようもなくめんどくさいものだったりもするんですよね。

実家暮らしの28歳・淳子を主人公にした「ちっちゃな頃からおばちゃんで」(小山田容子)は、そういうある種野暮ったい家族の手触りが描かれています。

特に中心となるのは母親との関係。自分で言ったことをコロッと忘れる母、自分から聞いてきたのにこっちの意見なんて結局気にしない母、「私は家族のために犠牲になってきたのに」と愚痴る母……。

子どもの頃からしっかり者で、今も銀行勤めをしながら家計を支え、休日は家業の料理店の手伝いまでする“できた娘”淳子は、そういう当たり前で少しだけ面倒な家族の日常を暮らしてきたのですが、気付くと28歳。結婚する友人が増え、両親も老いていく。家族に重宝されているけど、同時に家族に付随した何かでしかない自分に、疑問を感じるようになります。

“家族”を遠く離れて暮らす僕らには、一人暮らしの不安や孤独が首をもたげます。だけど、一方で家族と暮らしていたら孤独じゃないのかというと、たぶんそういうわけじゃない。家族に組み込まれきった自分に対する不安や、個としての自分が感じる孤独は、きっとあるんですね。一種の家族の呪いともいえるものを、本作は思い出させてくれます。

ただ、じゃあ読後「あー、やっぱり一人暮らし最高!!」となるかというと、そうならないんですよね。めんどくさい、けれど、だからといって切り捨てたいわけでもない、そういう不思議な家族のかけがえなさがきちんと描かれているんです。

“家族の呪縛”のまっただ中にいる人にも、呪縛を忘れている人にも、たぶん感じるところのある作品だと思います。あー、しかし、僕も家族なんてものについて、切実に考える年になったんだよなぁ。

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。Twitterアカウントは@frog88

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