「女子」の縮小再生産から抜け出させてくれる、「30代女子」への解答――「君の天井は僕の床」(鴨居まさね)


鴨居まさねは少女マンガの新しい地平だと思う。

少女マンガは、伝統的に老いを描くのが苦手なジャンルだ。というより、加齢というテーマ自体が女性にとって難しい問題なのだ。

男の成長モデルと通過儀礼は年齢的な限界や制限が多くない。子どもを作ることは中年と呼ばれる年齢になっても不可能ではないし、結婚や家庭以外にも会社での出世など、人生のステージを変えてくれる(社会的に加齢させてくれる)通過儀礼がたくさん用意されている。要は結婚や家庭と無関係でも「いい年の取り方」が想定できるのだ。だから、ある意味では結婚しなくても明るく加齢できる、そういうモデルケースを(実際に実現可能かはともかく)描きやすい。

だが、女性の場合はなかなかそうもいかない。出産のリスクや限界は男よりもずっと早くやってくる。そういうこともあって、女性を社会的に加齢させてくれる装置は今もあまり多くない。若い時代を過ぎたら、次のステージはすぐ妻であり、母になってしまう。独身での「いい年の取り方」のモデルケースが確立されているとはいいがたい。だから、30代、40代独身を描くとき、どこかネガティブに見えやすい。若さへのうしろめたさみたいなものがにじんでしまう。

00年代半ばから「女子」という言葉が急速に力を持ったのは、そういう加齢モデルケース不在の象徴だと思う。「女子」は、いわば20代の拡大解釈だ。年齢は上がった。だけど、独身だと社会的年齢はうまく上がらない。20代とは違うモデルケースや理想像を描けない。だから、30代も40代も「女子」と呼んで、20代の縮小再生産を続けるしかなかったのだ。

結果的に、「30代女子」は物語の世界にポッカリと空いた穴になってしまった。永遠に若さを求め続ける、20代の延命装置しかなくなっている。

そういう状況にあって、鴨居まさねは加齢を上手に引き受けている。

「君の天井は僕の床」は、アラフォー、アラサー女性の人生と恋愛を描いているが、彼女たちはみな加齢を過剰に恐れていない。「早く結婚したかった」「結婚しなきゃ」みたいな気負いを感じさせない。新しい老眼鏡を買って嬉しそうにニコニコしている。話題にしたってすごい。少女マンガで、しかも恋の話で、「高脂血症」の話題から始められるのはこの人くらいだ。ごく当たり前のように、加齢を受け入れている。

彼女たちは「女子」という言葉では語りにくい。笑うときは涙が出るほどヒーヒー笑い、泣くときは「わーん」と泣く。「涙がキラッ」とかでなく、顔がくちゃくちゃっとなるほどガッツリ泣く。女性誌の「女子力」特集なんかでは、きっとそんなの許されないだろう。

だけど、そういう女子力とは無縁そうな彼女たちの物語は、最高にかわいくて、読んでいて幸せな気持ちになる。若い「女子」の物語のように、胸が張り裂けそうになるというような緊張感はない分、ゆったりとしてずっと一緒にいたくなるような愛おしさがある。

20代の女子力が恋愛力であるとすれば、鴨居まさねのアラサーの魅力は人間力みたいなものだと思う。安心できて、心を許せて、信頼できる。そういう愛おしさがある。それはむしろ年を重ねることでより深まっていく、明るくてしなやかな魅力だ。きっとお婆ちゃんという年になった女性が主人公でも、パワフルでキュートな恋愛を描けるだろう。

「君の天井は僕の床」は、20代の縮小再生産を続ける「女子」の世界から抜け出させてくれる。当たり前に年を取り、当たり前にかわいく、素敵でいる形を提示してくれている。鴨居まさねは、「30代女子」への新しい解答なのだ。


(このレビューは第3巻時点のものです)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。帯はとっておく派ですが、カバンのなかでよく破いてしまったりもするので、あんまり気にしないことにしてます。今まで特に書いていませんでしたが、仕事のご相談とか普通に承っています。Twitterアカウントは@frog88

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