「こんな父親はイヤだ」今年度No.1、だけど彼は憎めない――「秋津」(室井大資)


さて、問題です。小学生の息子が女の子からプレゼントを貰ったきました。思春期の入り口の、ちょっと微笑ましい感じのモテエピソード、父親としてどんな言葉をかけるでしょう?

「やるなぁ(笑)」とか? 「ふーん」と流して、内心ニヤニヤ観察するとか? 息子との関係性によっては、多少デリケートな反応をする必要があるかもしれない。

で、本作「秋津」(室井大資)の主人公・秋津薫の答えはというと、「あなたと私は敵です!」だ。それも真顔で。「気にくわん! お前とはもう明確にラインを引いたからな」と本気の敵対宣言だ。

秋津というキャラクターは、もう終始こんな感じ。息子の参観日に行けば来ているほかの母親たちの電話番号を聞き出そうとするし、仕事で怒られれば「この沈んだ気分は息子をいじめて解消するしかない……」とつぶやく。マンガ家として働き、ちゃんと子どもを養ってはいるけれど、もちろん〆切なんてろくに守らない。原稿が遅れに遅れ、編集者が印刷所にきつく叱られることを覚悟し、胃を痛めているときですら、「すまない」とかでなく「とびきりハイスペックの救急車用意しとくよ……」とのたまう。セリフ回しといい、表情といい、とんでもないセンスだ。笑いが止まらない。

もちろん実際にいたら、迷惑だ。父親はおろか、友人でもお断りしたい。まわりの人間がストレスで死んでも、本人だけは長生きしそうなタイプだもの。

だけど、一方で秋津はなぜか憎めない。どこかで「根はいい人」みたいなエピソードがあるわけでもなく、徹底的にめんどくさい人として描かれているにもかかわらず、なんだか愛すべきキャラクターになっている。

たぶんそれは、秋津がわかりやすいからだ。わがままで勝手な秋津は、その分建前もウソもない。仮にあっても、見え見えだ。そして、そうやって見えてくる彼の心は、善良とはいえないけれど、ドロドロとした悪意もない。良くも悪くも、無邪気なのだ。

無邪気さを貫くというのは至難の業だ。自由に見えて、むしろ面倒な事態をどんどん招く不自由な生き方だ。だから、人は無邪気でいるより、「まともな人間」になることを選ぶ。

人の親になっても、無邪気さを貫く秋津は、迷惑極まりない人物だけれども、同時にちょっと憧れる、偉大な人物でもあるのかもしれない。

(このレビューは第1巻時点のものです)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。最近、明らかに自分のものではない、長い髪が自宅の床に落ちているんですが、僕のいない間に誰かがこの部屋で暮らしてるんでしょうか? Twitterアカウントは@frog88

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