いつの間に僕は伊藤理佐で泣くようになったのか?——「おいピータン!!」(伊藤理佐)


一体全体、いつの間に伊藤理佐はこんな作家になったのだろうか? 約3年ぶりの「おいピータン!!」(伊藤理佐)の新刊を読んで涙をこらえながら、電車の中でそんなことを考えていた。

もしかしたら僕が気付いていなかっただけで、昔々から彼女の作品は変わっていないのかもしれない。だけど、無礼を承知で正直に言うならば、僕にとっては伊藤理佐という作家は、さっと読めてクスッと笑わせてくれる、すごくライトな作家だった。

だって、「おるちゅばんエビちゅ」の伊藤理佐ですよ? いや、いい作品だけど。いい作品だけど、Wikipediaの作品紹介に「愛らしいキャラクターが、「ま○こ」を連呼する。(※伏せ字は編集部による)」って身も蓋もない一文が入っている作品ですよ? 「エビちゅ」読んで笑っていた十何年か前の自分に、「お前、将来な、その人のマンガ読んで、涙ぐむようになるから」って告げたら、どうですよ? 確実におかしくなったと思うでしょ。「将来、俺、おかしくなるんだ」って悩むでしょ。

正確にいえば、伊藤理佐の作品は今でもちゃんとライトだ。気を張らず、さっと読めて、すごく面白い。そういう意味で彼女は今も昔も変わらず、きっちり伊藤理佐だ。でも、「おいピータン!!」にしたって、昔は読んで泣きそうになることなんてなかった。小太りでオッサン顔だけど、料理や食べることが好きで、妙にいい男の大森さんをめぐる日常ショートで、読むとちょっと気持ちを軽くしてくれる。僕にとってそういう作品だったのだ。

それが、今、なんでか不意に涙ぐませてくる。ちょっとした家族の、普通にユーモラスなエピソードや、何気ない話にドキッとする。

たぶんそれは、作家が少しずつ変わったというのもあるけれど、同時に自分自身が年を取ったからなのだと思う。「おいピータン!!」には、ど派手なドラマはないけれど、いつも替えの効かない日常がある。そういう日常は、かつて僕にとっては素敵だけれど、退屈で平凡なものだった。だけど、年を重ねれば重ねるほど、その平凡さに手間がかかることも、永続しがたいこともわかってくる。

だから、今読むと、自分がいい加減に、ないがしろにしていた日常を、発見し直して、丁寧に磨いて差し出されているような気持ちになって、泣きそうになる。それで、「お前、将来な、その人のマンガ読んで、涙ぐむようになるから」っていわれて、いぶかしげな顔をしている昔の自分に「ざまぁ見ろ」って思うのだ。こんな贅沢なマンガ、まだ教えてやるもんか、と。

(このレビューは第13巻時点のものです)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。今年は取材でたくさんクリスマスイルミネーションを見ました。男2人で。Twitterアカウントは@frog88

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