ラブコメ史上屈指の無理ゲー! バーコードハゲのオッサンになった元美人妻とその夫の恋の結末は?——「パパがも一度恋をした」(阿部潤)


森高千里のヒット曲に「私がオバさんになっても」という曲がある。30代前後の人なら説明不要の有名曲で、タイトルどおり、「今は若い自分が年を取ってからも今と変わらず愛情を注いでくれるのか?」という歌詞だ。これ、正直いってけっこう怖い問いかけだ。何でもかんでも若いほうがいいとはいわないけど、じゃあ、今相手がお爺ちゃんやお婆ちゃんになったら、誰だって戸惑うだろう。

「パパがも一度恋をした」(阿部潤)は、オバさんどころではない、さらにすごい状況を突きつける。若くして死んだ美しい妻・多恵子が、なんとバーコードハゲのオッサンになって戻ってくるというお話だ。

日本では、これまでにさまざまなラブコメが登場してきたが、この設定はおそらく歴代トップ10に入る無理ゲー設定だろう。何しろ、設定自体を思いついても、ハッピーエンドが想像できない。だって、あなたの恋人なり奥さんなりが、ある朝起きたら、亀井静香とかに変わってたら、どうですよ? 静香ちゃんに愛してるっていえますか? あなたの日本は立ち上がりますか? これもう、立ち上がったら立ち上がったでいろいろ心配になってくるでしょ?

本作でも、とにかく序盤は“オッサン妻”のキツさを中心にコメディが展開する。無理矢理かつての妻と同じように接そうとして、四苦八苦する夫・吾郎の悪戦苦闘をギャグにしている。そのうち吾郎はおっさんの姿に慣れ始めるのだが、読者からすれば相変わらずオッサンなので、どうしても感情移入しづらい。面白いのだけど、この状態でちゃんとエンディングに持っていけるのか、連載開始当初はかなり不安に思っていた。

だが、結論からいえば、本作は見事なエンディングに着地した。しかも、ギャグっ気たっぷりの作品でありながら、ラストは感動の展開にまで持ち込んでいる。

いったいどうやって、この設定からそんな感動ものを作り上げたのか? 答えはすごくシンプルだ。力業だ。「どんなに姿が変わっても、妻を愛している」という理想論を、真っ正面からやってのけたのだ。タイトルどおり、吾郎は、妻に、おっさんの姿になった彼女にもう一度恋をして、恋人、家族になっていく。きわどい設定に反して、本作の基本的な理念や物語の原理は、極めてシンプルであり、ある意味目新しさがなく、あらすじだけ取り上げれば陳腐にも見える。

だが、「パパがも一度恋をした」は、その陳腐さを貫き通して、説得力のある物語に仕上げている。オッサンになっても「多恵子が世界一だ」と臆面もなく叫ばせ、やがて読者をその世界に巻き込んでいく。読み進めるうちに、オッサン多恵子がどんどんかわいく見えてくるのだ。そうして、「愛は不滅であり、家族は素晴らしい」というありふれた理念を輝かしく見せ、そのフィナーレでは僕を泣かせてしまった。

ドラマチックな恋は、物語でも現実でも人の心を激しく揺さぶる。だけど、家族や恋人が日常になったとき、愛は陳腐な日常のなかに埋もれる。その埋もれた陳腐さを、力一杯叫ぶバカバカしさとかけがえのなさを、本作は描き出している。

(本作は全7巻完結です)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。最近、ヘッドホンを替えました。あと、タバコを軽いのに変えたりもしました。Twitterアカウントは@frog88

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