「坊主マンガ」というジャンルがありまして。「ありまして」といっても僕が勝手にいっているだけなのですが、実際パッと思いつくだけで、住職のほか、神主、牧師の息子たちが織りなすコメディ「さんすくみ」(絹田村子)、OLと僧侶の恋物語「5時から9時まで」(相原実貴)、お坊さんの生活などを描いたエッセイ「坊主DAYS」(杜康潤)など、今坊主モノの作品というのはけっこうあるんです。
お坊さんって、多くの人が人生で何度かお世話になる機会があるはずですが、普段の生活ぶりとかお仕事のルーチンなどはなかなか知る機会がないので、職業モノとして見ても面白い。さらに、もともとは女人禁制という禁欲的な側面のある仏教だからでしょうか、何となく禁忌感や独特の色気があって、恋愛モノとしてもいい題材なんですよね。
そんな中出てきたのがお寺の一人息子を主人公にした朔ユキ蔵の新作「お慕い申し上げます」です。流し目が抜群に魅力的だったり、女性の泣き顔描かせるとものすごいエロかったりと、とにかく絵が色っぽい朔ユキ蔵ですから、これは色気ムンムンの坊主モノであろうと期待していたわけです。帯にも「ボンボン坊主のモンモンライフ!!」と銘打たれてますからね。「朔先生も坊主の色気に目を付けたか!」くらいに思ってたんです。
ところが、読んでみるとこれが、色気どころの話じゃなかった。いや、もちろん主人公の坊主・清玄も、その同級生でやはり坊主の清徹も色気たっぷりですよ。坊主ならではの後頭部からうなじへの美しいラインだとか、シュッとしていながら骨っぽい顎や手のラインなど、ため息ものの美しさです。ヒロインも赤面、泣き顔連発で、もうエロいのエロくないの。
なのですが、同時に「お慕い申し上げます」で問いかけられるのは、極めて仏教的なテーマなのです。登場人物たちは「仏教とは?」といったところで悩んでいるわけではありません。主人公・清玄は、真意はともかく「寺の息子であり、僧だから」という理由で結婚はしないと頑なに心に誓っていますが、一方で健全な性欲を抱えており、女性と性的な関係をまったく持たないわけではない。僧侶としての自分が抱える理念と、自分の本性の狭間で悶々としているキャラクターです。元マラソンランナーのヒロイン・清沢節子は、選手時代にどうしても勝つことのできなかった相手や現在の自分の境遇などへの妬みや憎しみ、コンプレックスを抱えて潰れかけています。
作中では現代のお寺・職業僧侶の事情や生活が細やかに描き出されていますが、そこで展開されるテーマは「坊さんだから」「寺の息子だから」というところを中心にしているというより、若者が誰でも抱える煩悩を巡る問題であり、一見「坊主モノ」である必然性はないようにも見えます。
だけど、そういう彼らの抱えるトラブル、煩悶って、実はすごく仏教的なんですよね。
作中でも語られますが、仏教はもともと「生きることはすなわち苦しみである」としています。「生老病死」という人間が逃れられない4つの苦しみに加え、愛すれば愛した相手といずれ別れが訪れるという「愛別離苦」、恨む相手と出会ってしまう「怨憎会苦」、求めるものを手に入れられない「求不得苦」、生きる限り続く心や体から生まれる執着による「五蘊盛苦」。「四苦八苦」という言葉の語源にもなっているこれらの苦しみが、人生には常につきまとい、死んでも輪廻を繰り返し、人は永遠に苦しみ続けなくてはならないというのが仏教的世界観というわけです。おおざっぱな説明ですが、そうした苦しみを生み出す執着を捨て去ることで、永遠に苦しみを生み続けるサイクル・輪廻から抜け出そう、というのが仏教の原点になっています。
「お慕い申し上げます」の登場人物たちは、少なくとも今の段階では、仏教に救いを求めているわけじゃありません。仏教に関わる若者たちの青春譚であり、仏教とほとんど無関係に悩んでいます。ところが、彼らの抱える執着や煩悩という問題は仏教が答えを探し続けてきた問題でもあるんですね。
朔ユキ蔵という人は、徹底してセクシャルな表現を扱ってきた作家であると同時に、性、あるいは生にまつわる煩悩と向き合ってきた作家でもあります。その彼女が、今こうして煩悩といかに向き合うかという問いを発し続けてきた仏教に辿り着いたのは、もしかしたら必然だったのかもしれない。仏教が長い歴史のなかですべての執着を捨て去るストイックな原理主義から離れ、民衆にも可能な生き方や心持ちを説くようになったように、朔ユキ蔵は今、改めて仏教的な煩悩や執着との現代的な向き合い方を解釈しようとしているのかもしれない。「お慕い申し上げます」はエンタメ作品として楽しめると同時に、そんなことを考えさせる作品になっています。
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。Twitterアカウントは@frog88。
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