噛み合わない2人の確かな絆――「いとしのムーコ」(みずしな孝之)


いやー、ムーコがヤバい。ムーコに出会ってからというもの、胸のときめきが止まらない。ムーコ、マジ天使。

とまぁ、いきなりまったくレビューと呼べないような思いの丈を叫んでしまったわけですが、「いとしのムーコ」(みずしな孝之)の主役である柴犬のムーコはそれくらいかわいいんです。

「いとしのムーコ」は、秋田県のガラス工芸作家である小松聡一さんとその飼い犬・ムーコをモデルにしてはいますが、基本的に犬視点でムーコから見た日常を描くフィクション作品になっています。ですが、ここで描かれるムーコの思考って、「ああー、犬ってこんなこと考えてそうだよね!」というあるある感とおバカ感があるんです。そう、どこか気まぐれな猫と違って、犬の人なつこさって、ときとして「こいつ、本当に何も考えてないんじゃないか」って思わせるようなキュートな天真爛漫さなんですよね。

何気ないシーンの中から「ムーコってもしかしてこんなこと考えてるんじゃ?」という想像を膨らませられるのが、みずしな孝之という人のすごいところのひとつなのですが、この作品で特に秀逸なのは、飼い主のこまつさんとムーコのコミュニケーションの部分なんです。

動物もののフィクションって、たとえば人間視点なら「人間は動物を何となく理解してるんだけど、動物には通じない」という立ち位置だったり、動物視点なら「動物側は実は人間を理解してるんだけど、人間は不可解なことをする」という描き方になったりすることが多いものです。しかし、「いとしのムーコ」はそのどちらでもありません。

視点はムーコに置かれているんですが、ムーコはこまつさんのことを、ところどころ理解しつつ、でも基本的にこまつさんが何を言ってるのかわかっていません。こまつさんも何となくムーコの気持ちを察するけど、犬のことなので、本当のところ何を考えているのか全然わかっていない。だから、2人(1人と1匹)の掛け合いはちっとも噛み合っていないことが多いんですね。ムーコがこまつさんを夢中にさせる(と思っている)ガラス細工に嫉妬していても、こまつさんは気付かない。そのガラス細工で作った餌皿を出されて複雑な気持ちになっているムーコを見て、こまつさんは喜んでると思ってしまう。

そういうディスコミュニケーションの部分がこの作品の笑える部分なんですが、これ、同時にすごく愛おしい部分でもあるんです。犬は人間のことがわからない。人間は犬のことがわからない。だから、ちっとも噛み合わないんだけど、にもかかわらず、ムーコとこまつさんはたった1点、ピッタリと噛み合ってるんです。それはムーコはこまつさんが好きで、こまつさんもムーコが好きということ。

誤解というのは古今東西悲劇の源泉で、相手の気持ちがわからないことでたいがい人間の物語は不幸な結末を迎えます。本当のところ相手が自分のことをどう思っているかなんてわかっていないムーコとこまつさんの関係も、普通に考えると悲劇です。だけど、「いとしのムーコ」ではそれが不幸な出来事になっていないどころか、幸福の源泉にもなっています。なぜかというと、お互いに相手が気持ちがどうかとはほとんど無関係に、自分が相手のことを好きだという気持ちだけに素直に生きているんからなんですね。

この噛み合わない2人には、噛み合わなさゆえにすごく確かな絆がある。それがこの作品のかわいくて、愛しくてたまらない部分だと思うんです。

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。Twitterアカウントは@frog88

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