90年代後半の「新世紀エヴァンゲリオン」ブームは僕らに強烈な傷跡を残していった。ここでいう“傷跡”というのは、作品そのものが与えるトラウマではない(もちろんそういうものもあるんだけど)。コミュニティ、クラスタにおける不安だ。
今さらいうまでもなく、90年代におけるエヴァはアニメ史上における事件であり、社会現象であった。アニメでありながら、従来のオタク層を超えて支持を受け、極めてオタク的作品であると同時に、「エヴァならオタク以外が食いついてもOK」という免罪符を与えられた。今からすると「なんだそれ」と思われるかもしれないけれど、あの頃“オタク”というのは恐ろしい烙印で、イケメンやら華やかなる人はもちろん、“フツー”の人がアニメを語るなんてことはなかったのだ。感覚的にいって、それくらいオタクとそれ以外というのは断絶されたコミュニティだった。
エヴァはその深くて冷たい川に、良くも悪くも橋をかけた作品だった。オシャレ(サブカル)層も、ダサイ(オタク)層もエヴァと「エヴァ、すげえ!」といってコミットできた。それはすごいことだったし、たぶん喜ばしいことだった。
けど、結果として僕は強烈な不安を植え付けられてしまった。僕はエヴァによって橋渡しされたふたつのコミュニティのどちらにも入れなかったのだ。当時の僕は、マンガも読むし、小説も読む、アニメはあんまり見ないけど抵抗はないという感じだった。雑誌でいうとダ・ヴィンチあたりは読む。ファッション誌は読まないけど、relaxあたりは(ちょっと照れるけど)たまには読むというような10代だった。だから、サブカル系のコミュニティではオタクと呼ばれる一方で、今でいう萌えに足場を置くような熱量の高いオタクコミュニティではサブカルと呼ばれた。
どっちのコミュニティにも、別に意地悪をされたわけではないけれど、10代の僕は結果的に「自分がいったい何者なのか」を見失ってしまった。オタクでもサブカルでもない、「じゃあ、何?」といわれてもそういう自分を指し示す言葉もない。「所詮呼び名に過ぎないのに、気にするのはバカだ」というのはまったく正しいけれど、コンプレックスや不安というのは「正しさ」とは無関係に生まれる。だから、エヴァを通じて明らかにされてしまったオタクでも、サブカルでもないという自分の不確かさは、それからずっとくすぶり続けて、今でもたぶん心の片隅に残っている。
「ケンガイ」(大瑛ユキオ)を読んで心が揺さぶられるのは、そういうボーダー上の僕らの姿がそこにあるからなのかもしれない、と思った。
「ケンガイ」は、別にオタク・サブカル的な作品ではない。TSUTAYAをモデルにしたであろう、ちょっとお洒落な町のレンタルビデオショップで働く23歳(推定)の伊賀くんが主人公の恋愛物語だ。ただし、オシャレな恋愛ものでもない。伊賀くんの気になる相手というのは、バイト仲間の間では「圏外」とあだ名される、変わり者の映画マニア・白川さん。要するに、みんなに「ナシだ」といわれているのだ。
タイトルの「ケンガイ」が意味するのは、もちろん白川さんだ。だが、読み進めるうちにふと気付く。実はこのタイトルは同時に、伊賀くんを指してもいるのではないか、と。
白川さんは確かに「圏外」という扱いだが、本人はそのことをほとんど気にかけていない。映画が好きで、ほかのことはどうでもいい、まともに映画の話ができない人間を見下してさえいるところがある。つまり、白川さんは“圏外の女”だけれど、逆に白川さんから見れば、圏外と呼ぶ人々のコミュニティこそ“圏外”なのだ。
バイト先でマジョリティグループに分類されながら、白川さんが気になっている伊賀くんは、どちらのコミュニティにも渡っていける人間だ。しかし、それはつまり、どちらのコミュニティでも異質な存在であるということだ。
白川さんを見下すマジョリティグループは、どこかちょっと居心地が悪い。だけど、白川さんから見れば伊賀くんはマジョリティの人であり、映画好き仲間ほどピッタリと息が合う相手ではない。伊賀くん自身も映画マニアとはとてもいえないだろう。結果的に、伊賀くんは「『圏外』に何の用なんだろって」思われてしまう。
それは、エヴァのときに僕が(あるいは僕らが)味わった不安に似ている。バリバリのオタクにも、サブカルにもなれなかった僕らは、たぶんあのとき、両方と楽しくやりながら、同時に両方から「圏外」だという不安に晒されていた。
そして、同時に伊賀くんの感性はフツーだ。映画オタクの白川さんの、「マジョリティの人間がわざわざ自分に声をかけてくるなんて、なんの罰ゲーム?」という感覚も、「レンアイしないと死ぬわけ?」という感覚も、生々しくて、ある部分では痛いほどわかる。だから、伊賀くんが白川さんを「わからん」と腹立たしく思うシーンでは、「いや、わかれよ」と思う。
だが、一方で「そこまで頑なに拒絶することはないし、白川さんは極端すぎる」とも思っている。そういう部分では伊賀くんに共感もする。人によっては「白川さん、意味わからん」としか思わない人もいるかもしれない。
「ケンガイ」はそうやって、視点や感性を揺さぶり、どちらでもあり、どちらでもない自分を露わにする。あの日、エヴァが突きつけた不安を、今、白川さんに改めて突きつけられている気持ちだ。
(このレビューは第1巻時点のものです)
記事:小林聖
1981年、長野県生まれ。フリーライター、ネルヤ編集長。最近やたらと細麺のラーメンが食べたくなります。Twitterアカウントは@frog88。
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