“何でも叶える”小太り妖精が「200円の缶コーヒー」を頼まれるのはなぜか?――「ジョナ散歩」(ケイケイ)


タイトルを見た瞬間「クソ、負けた」と思わせる作品ってありますよね。一体何に負けたのか、僕が何と戦ってるのかはわからないんですけど。

今回ご紹介する作品がまさにそれです。だって、「ジョナ散歩」ですよ? 主人公がジョナサンで「ジョナ散歩」。思わず声に出したくなるこのタイトル。しかも、このジョナサン、妖精ですから。この小太りでメガネをかけた、手のひらサイズのオッサンが。つまりどういうことだってばよ。

とまぁ、ここまで食いつかされてしまったら、もうレジに持っていかざるをえません。気持ちよく「してやられた」感じです。

さて、こう紹介してしまうと出オチのオモシロ作品みたいに見えてしまいますが、「ジョナ散歩」(ケイケイ)はコメディタッチではありますが、ギャグではありません。オッサンの姿をした妖精・ジョナサンが、さまざまな人のもとを訪れ、ひとつだけ願いを叶えるというヒューマンオムニバスです。

「人智を超えた何かがひとつだけ願いを叶える」というのは、物語の古典中の古典のひとつで、「欲張った人間が最終的に不幸になる」という形式を取ることが多いです。マンガでは「笑ゥせぇるすまん」あたりが代表例でしょう。

ですが、本作はひと味違います。ジョナサンに出会った人々の多くは、どんな願いを叶えてもらうべきか、悩んだり、ときにはめんどくさがったりしながら、最終的に「ハムスターの世話をしてもらいたい」「ちょっと高い缶コーヒーを飲みたい」といった大したことのない願いを口にします。もちろんそんな願いでは人生は一変しません。が、登場する彼ら、彼女らの生活はたいしていつもと変わらないけれど、ほんの少しだけ幸福めいたものに向かって舵を切ることになります。

「ひとつだけ願い事を叶うとしたら?」という問いかけへの答えは、常にひとつしかありません。「お金」であったり「権力」であったり「愛情」であったり、人によって答えは違いますが、本質的には「幸福になりたい」という願いを具体化させる作業だからです。

「ジョナ散歩」には、人目を気にしすぎる人や昔の恋人への未練が断ちきれない人、ごくごく普通のOLといった、たくさんの「私かもしれない誰か」が登場します。彼ら、彼女らが最終的に「ハムスターの世話」や「200円の缶コーヒー」といったなんてことない願い事に辿り着く理由はさまざまです。ですが、そのどうでもいい願い事は、結果的にそれぞれの幸せの形を少しだけ見せてくれます。その形は、少しだけ目先を変えれば、願いを叶えてくれる妖精がいない我々にも手にできるかもしれないものばかりです。

読むほどにキュートに思えてくるジョナサンの魅力や登場人物たちとのユーモラスな会話も相まって、読後、少しだけ幸福に近づける気持ちになれる一冊。「不幸ではないけれど、幸福とも思えない」、そんなふうに感じるとき、手にとりたい作品ですね。

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。Twitterアカウントは@frog88

関連リンク
Kiss|ジョナ散歩|作品紹介|講談社コミックプラス

No comments yet.

この記事にコメントする

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)