物語の少しだけ外側にある理由――「春山町サーバンツ」(朝倉世界一)


「入り口があって出口がある。大抵のものはそんな風にできている」。「1973年のピンボール」(村上春樹)の有名な一節です。作中でも「出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない」と書かれているとおり、入り口を描いてしまったからには物語は万難を排して出口に辿り着かないといけません。

謎という入り口があれば、物語は必ずそれを解き明かさなくてはいけないし、涙や笑顔という感情の出口があれば、物語はその理由、入り口を物語のなかで描いていなければなりません。入り口と出口、そのすべてを物語のなかに閉じ込め、描ききる。それは物語の宿命であり、義務であるといってもいいでしょう。

と、「義務である」なんて始めておいてナンですが、「春山町サーバンツ」(朝倉世界一)は、物語の内側だけで完結しない部分を少しだけ含んでいると思うわけです。

本作は、中野区に隣接する東京都渋谷区春山町という架空の町で、公務員として働くことになった新社会人・巻村鶴子を主人公に、春山町の人々と人生を描く物語です。ゆるめの線でどこかユーモラスさを感じさせる絵柄どおり、春山町の人々はみんな抜けたところがあって、それが笑いを誘うんですね。

たとえば、引退した地域情報紙の記者・杉さんは、自転車屋のかわいいお婆ちゃん・絹さんに惚れているんだけれど、いい年をしてまともに話しかけることもできない。世間話どころか、「自転車ください」すら言えないんですよ。しかも、大まじめに「前任記者 杉さん、自転車を買う」なんて記事を区役所発行の地域情報紙に載せようと考えてたり。めっちゃピュアな笑顔で。そういうちょっとズレてるんだけど、かわいくて憎めない人々の暮らしがサラサラと描かれており、読んでいてついついほっこり笑顔になってしまうわけです。

さて、杉さんはその後、モジモジしながらも何とか絹さんのお店で自転車を購入できたわけですが、お店を去ろうとしたとき絹さんに問いかけられます。「なんで急に自転車買ってくれたの?」と。杉さんは答えます。「え あ…なんでかな」。

もちろん、杉さんが自転車を買ったことにはワケがあります。杉さんがまだ17歳の少年だった頃、22歳の看板娘・絹さんは憧れの的でした。いつか働いて絹さんのお店でピカピカの自転車を買う、それが彼の夢だったというわけです。ですが、ようやく働き出した頃、絹さんは駆け落ちしてしまい、杉さんは自転車を買う機会を失してしまう。絹さんのお店で自転車を買うことは、数十年越しの杉さんの夢であり、心残りだったんですね。

引退した今、ずっと心残りだったその夢を叶えたくなったのかもしれない。後輩として鶴子が訪ねてきたことで口実ができたことも大きいでしょう。

だけど、「なんで急に自転車買ってくれたの?」に対する答えは、たぶんそれだけではちょっと足りないと思うのです。それは、描写不足という意味ではありません。杉さんの恋の入り口と出口は描かれており、だからこそ、回想として杉さんの過去が出てきたとき、思わずホロリときてしまう。

が、杉さんが今自転車を買った理由は、たぶんそういう物語として語れる部分から少しだけはみ出した部分にもあると思うんですね。叶わぬまま50年近く抱えた想い。おそらく過去にも何度か絹さんのお店に足を運んでいたでしょう。そのときのこと、たわいもない会話、あるいは絹さんとは関係ない日々の暮らし……そういうものがごちゃ混ぜになった記憶が、杉さんの「理由」には含まれているはずです。

自転車を買った杉さんは、絹さんを自転車の後ろに乗せて町を走ることになります。そこで交わされる会話はほんの一言二言程度。だけど、坂道を下っていくふたりの後ろ姿は、物語のなかで語られることのない杉さんたちの記憶を感じさせてくれます。そういう物語の外側が、「春山町サーバンツ」という作品の豊かさの秘密なんじゃないかと思います。

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。Twitterアカウントは@frog88

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