青春、モラトリアム、オフビート……。真造圭伍作品はそんなフレーズで表現されることが多い。「台風の日 真造圭伍短編集」(真造圭伍)の帯では、松本大洋が「いつまでも終わらない夏休みのような」と評している。
彼の単行本デビュー作である「森山中教習所」を読んだとき、真っ先に思い出したのは「バタアシ金魚」(望月峯太郎)だ。「バタアシ金魚」の主人公・カオル君ほどテンションの高いキャラクターや物語ではないのだけど、読後感や作品に流れる空気は妙に似ているのだ。
この2作の共通点は、(いい方は悪いが)たぶんキャラクターたちのボンクラ感なんじゃないかと思う。
真造圭伍作品の登場人物たちは、たいていボンクラだ。たとえば「台風の日」に収録されている「FELLOWSHIP」では、マンガ家志望の青年が出てくる。若かりし頃「マンガ家なんてチョロい」と思っていた彼は、2年後の現在、すっかり小汚くなって、いまだデビューを果たせずにいる。しかも、やっとつかんだチャンスは当初思い描いていたのとはまったく違うであろうエロマンガ畑での掲載。
そんな彼の家に逃亡中の強盗犯がやってくる。普通なら追い出すなり抵抗を試みるなりするだろうに、青年は震えながら「たてこもってもいいからマンガを描かせて欲しい」と懇願するのだ。その姿はどこか間抜けで笑ってしまう。
強盗の方も強盗の方で、ケチなチンピラ。衝動的な犯行で盗ったのはわずか十数万円なんだから、とても大物という感じはしない。しかも、今まさに警察に追われている人間が逃げ込んできたのだから、ピリピリとしたサスペンスムードになりそうなものなのに、この強盗犯、逃げ込んだ部屋によっぱらいの集団が入ってくるとその勢いに押されて押し入れに閉じこもってしまう。あげく「なんか誘われちゃった」程度で、逃亡中にもかかわらず買い物に出かけるんだから、こちらもやっぱり、いかにも間抜けだ。
でも、そういう彼らの姿は、不思議と愛おしい。
人がボンクラを生きられる時間は思っているよりも短い。8年生になるまで大学に居座ったあげく、結局除籍されるという華麗なボンクラ人生を送ってきた僕ですら、今やそれなりの年になり、もっともらしい顔をして、もっともらしいことを語るようになっている。ボンクラなのは変わりはしないけど、「いい大人なんだから」という周囲のプレッシャーのなかで、自分のボンクラさを後ろめたく感じるようになってしまったわけだ。それはたぶん当たり前のことなんだろう。
だけど、同時に真造圭伍の作品を読むと、忘れないでいたいなと思ってしまう。自分がボンクラであったこと、あるいは今もやっぱりボンクラであり続けていることを。そして、ボンクラな僕が、かつてやっぱりボンクラだった友だちと、お互いの間抜けぶりを「バカだな」と笑いながら、「でも、あいついい奴なんだよ」なんて話していたことを。
ボンクラだけど美しい、そんな日々があったことを時々思い出すために、僕は真造圭伍の作品を手に取るのだ。
(本作は1巻完結です)
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。Twitterアカウントは@frog88。
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