読み手を“ここではないどこか”に運び、“今この世界”に着地させる想像力——「九井諒子作品集 竜のかわいい七つの子」(九井諒子)


今「面白い短編を読みたい」といわれたら、僕はたぶん真っ先に九井諒子の名前を挙げるだろう。「面白い」の意味するところが人によって違うのは承知の上だ。それでも、九井諒子という人の想像力は、絶対に見逃せない。

コミックスデビュー作である「竜の学校は山の上」から、第2短編集となる今作「竜のかわいい七つの子」まで、彼女は一貫して異世界を描いている。作品集のタイトルにも入っている竜のいる世界、神様が住む世界、人魚が暮らす世界などなど……どの作品にもファンタジーと呼ばれる要素が入れ込まれており、独特の世界観を作り上げている。

ファンタジーなど、物語の世界では珍しいものではない。むしろ物語にとって、フィクションの塊であるファンタジーは、得意中の得意と呼ぶべきジャンルだ。だが、九井諒子のファンタジーは、そんじゃそこらのそれとは手触りが違う。

彼女はファンタジーという嘘を、「ファンタジーだから」という理由で雑に片付けていない。人魚がいる世界なら、人魚がどういう生態で、社会とどのように関わっていて、どんな問題をはらんでいるかというところまで含めて描き、提示してくれる。だから、読み手はどこの国とも、いつの時代ともわからないその世界をすんなりと受け入れ、異世界をのぞき込むことの快楽に触れられる。

そして、何より魅力的なのは、そうやって“ここではないどこか”へ読者を連れ去った九井作品が、読み終える頃には読者を“今ここ”に引き戻している点だ。

舞台はいつも現実離れしているが、そこで暮らす人々は、我々と同じように、ままならない何かに悩み、不確かな答えを探し出そうとしている。見たことのない、知らない世界の話を突き詰めた先に待っているのは、我々のよく知る不条理な世界と、力なく、しかし、愛おしい、よく知る人間の姿なのだ。

誰よりも遠い世界で、誰よりも身近なものを描き出す。そういう九井諒子の想像力が閉じ込められた数十ページの短編は、まるで神様が作った別の世界を見ているような力を持っている。

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。最近、明らかに自分のものではない、長い髪が自宅の床に落ちているんですが、僕のいない間に誰かがこの部屋で暮らしてるんでしょうか? Twitterアカウントは@frog88

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