親に読ませたら結婚しろっていわれるんだろうなぁ――「きみの家族」(サメマチオ)


なーんで、こう門出というのは泣けるのか。結婚式ってまぁ、たいがい新婦が両親への手紙で泣くでしょう? そんで、それ聞いてる親御さんが泣いて、そしたらそれにつられて新婦の友人一堂が泣き始めて、「いやー、泣いてますなー」とか思って隣の席の男友だち見たらそいつも泣いてて、いや、お前は新婦全然知り合いじゃないだろ、っていうかつい2時間ほど前に初めて会った人だろ、とかいう感じで、すすり泣く人々だらけの会場で所在なく立ち尽くす31歳、僕。

こう書くと血も涙もない冷酷人間だと思われてしまうんですけど、そんなこといってる僕ですら実際にその場に居合わせると何となく感慨深い気持ちになるものです。本当結婚式というのは徹底的に晴れやかな日にもかかわらず、涙の似合うシーンでもあったりもするんですよね。

「きみの家族」(サメマチオ)を読んでいたら、そういう「なんでかなー」がちょっとだけ、おぼろげにわかった気がするんですね。

「きみの家族」はタイトルどおり、とある家族の生活やら昔話を切り取った作品です。長男の大学入学に伴う引っ越しだったり、お母さんの嫁入りエピソードみたいなお話ですね。

そういう家族ものって甘ったるかったり、ちょっと暑苦しかったりして、僕はむずがゆい感じがしてしまって苦手だったりするんですが、サメマチオ作品っていうのは、その辺がいい塩梅にさらっとしています。年頃の娘さんだけじゃなくて、お父さんやらお母さんもちょっと抜けててユーモラスで、かわいらしい。一言で表現したら「家族愛」としかいいようながないにもかかわらず、ベタベタした感じにならないのがこの人のすごいところなんですね。しかも、どれもこれも泣けるときてる。

何気ない家族のワンシーンを描いた作品なんですが、日常ものかというとそうでもありません。というのは、本作はちょうど「長女が結婚を決め、長男が大学進学で一人暮らしを始める」という時期を描いているんです。

結婚は人生の節目といいますし、実際子どもから夫、妻へ、そしてやがて父や母へと自分の役割が大きく変わっていくきっかけです。でも、結婚する人の視点ではつい忘れてしまうんですが、誰かが結婚するというのは当人だけでなく、その父親や母親、兄弟という家族にとっても大きな節目なんですよね。世代がひとつまわり、核家族システム(という日本では比較的新しい家族像)のなかでは、ひとつの家庭が役割を終えてその形を変え、次の家庭へとたすきを渡す瞬間というわけです。

「親にとっては子どもはいくつになっても子ども」といいますが、同時にやはり子どもが結婚して親になれば、父はお父さんを卒業し、息子や娘は子どもを卒業して親になっていく。結婚は当人だけでなく、ひとつの家庭がそれまでの形に別れを告げる卒業式みたいなものなんですね。

「きみの家族」を読みながら、ついついグッと泣きそうになるのは、永遠だと思っていた、そして今でもやっぱり永遠に続きそうに思えるひとつの家族ののほほんとした情愛と関係が、のほほんとしたまま、終わりを告げて変化していく様子を描いているからなんじゃないかと思います。

家庭は有限でありながら、家族は永遠であり、円環し続ける。そういう当たり前の仕組みが妙に不思議で愛おしく感じるのは、自分が“いい年”になったからなのか、サメマチオの手腕か、その両方か……。

こういう作品はちょうど結婚とか出産という世代交代を迎える自分たちの世代だけでなく、両親なんかにもすすめたいんだけど、あんまりいい家族が描いてあるから、これ読ませると「早く結婚しろ」って言われそうで、今すすめられずにいます。

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。Twitterアカウントは@frog88

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