電子書籍の半額セールは本当にマンガ好きにとって福音なのか? KADOKAWAセールのインパクトと電書市場の未来像


■安売りという麻薬、「半額」は本当によいことなのか?

さて、問題はこれが福音か否かということだ。

販売戦略上、今まで以上に価格という問題にシビアにさらされるようになった版元はともかく、「新刊(まあ、データに新刊も古書もないけど)を安く買える機会が増えた」ことは読者にとっては素直にありがたいことのように思える。実際、僕自身も「この安さは素晴らしいな!」と思った。

再販制度というシステムのなかで、紙の単行本ばかり年に1000冊も買っている僕なんかにしてみれば、平均して1%程度の還元率である書店のポイントカードだってすごくありがたい存在だ。極端な話、全部50%割引で買えるとなれば、年間数十万円の還元になる。お小遣いレベルでなく、衣食住のレベルを変えられるくらいの額である。

ただ、しばらく考えを巡らせていると、これってけっこう怖いことなのかもな、と気づいた。

商売全般にいえることだけれど、安売りというのは、麻薬みたいな側面がある。一時的には確実にユーザーに受けるけれど、乱発すれば安売り価格こそが常態になる。結果、ユーザーは安いときしか買わなくなり、定価が定価として機能しなくなる。事実上の定価自体の切り下げだ。そこを打破するために、またセールを行う……一度ハマってしまえば、抜け出せなくなる中毒性がある。

もちろん、うまく機能するケースだってある。たとえば、書籍の世界なら、ハードカバーと文庫本という棲み分けは、比較的うまく機能してきたといえるだろう。少なくとも、ハードカバーの単行本の存在意義を揺るがすことなく、共存はできている。

マンガの場合なら、たとえば動きの鈍った作品の掘り起こしなんかにセールを使えればベストだろう。メディアミックスのちょうど終わったタイミングだとか、名作と呼ばれながら書店の店頭になかなかないものなんかが、セールによってもう一度読まれるきっかけをつくれれば、それはたぶん幸福な関係だ。その究極系のひとつが、絶版作品を無料公開して広告収入を得るJコミのモデルだろう。

あるいは、マンガ産業の入り口である幼年向け作品の値下げ。これは可処分所得(というか、要するにお小遣い)の少ない子どもにマンガにどっぷりハマってもらうのにいいし、親に買ってもらうときだって「今だけセールだから」というのは説得しやすい。それで未来のマンガ読者をつかめるなら、投資として価値がある。

もちろん、そんなこと出版社側だって重々承知なんだとは思う。だけど、結局のところ、市場として普及させていくためには、「今まさに旬の作品が読める」という紙と同じところをとらざるを得なかったのだ。もうちょっというなら、「動きの鈍った作品」「過去の名作」はすでに新古書店が低価格で提供しているという状況があった。普及段階のインセンティブとしては、ちょっと物足りないのだ。

結果的に、今行われている大規模フェアでは、旬の作品が大々的に前に出ている。講談社のフェアでも、まさにこの年末「このマンガがすごい!」の上位にランクインした作品が前面に押し出されている。

その結果がどうなっているのかはわからない。それこそ実売の数字を見ても、評価しづらいだろう。

だけど、「まさに旬の作品が半額になる」という状況は、単純な価格競争の泥沼にコンテンツビジネスを引きずり込む可能性を秘めていると思う。売れている作品は、もともと価格インセンティブがなくても売れているわけだ。それをわざわざ下げるのは、ほとんど無意味な出血となる。

■ヒット作家から新人への富の再分配という出版社の役割

もちろん、日本の出版ビジネス自体が今まで価格競争にさらされてこなかったこと自体が問題であり、読者にとってはいいことだともいえる。が、市場全体にとっていいことなのかは、個人的には疑問だ。

マンガ産業は、典型的な山師産業で、爆発的なヒット作が1本出れば、下手すればそれでビルが建つ。いわゆる「ウハウハ」というやつだ。

じゃあ、その儲けたお金はどこへいくか? 「ウハウハ」という言葉のニュアンスが内包しているとおり、まずひとつはそこにいる会社員・従業員だ。給料に反映されるかもしれないし、福利厚生だとか環境改善にまわるかもしれない。

が、同時にビジネスで儲けたお金は、基本的に次のビジネスへの投資資金となる。マンガ産業でいえば、新人育成などに使う体力部分だ。

新人育成という観点で見たとき、富の再分配というのが出版社の大きな役割となっている。ヒット作家が稼ぎ出した資金を、次のヒット作家となるべき新人に投資していく。そのサイクルがマンガ産業の市場を広げてきた。

しかし、ビジネスが苦しくなってくると、どうしても投資の部分がシビアになってくる。もはや慢性的に語られる出版不況のなか、「新人育成にかける体力が出版社になくなってきている」というのは定説になりつつある。具体的には、単行本の初版部数。新人作家の単行本初版部数はどこで聞いても年々減少傾向にある。

これは、長期的には店頭露出の機会を減らすという意味で、新人が認知され、広がっていくチャンスをひとつ狭めることでもあるし、短期的には新人作家の台所事情を悪くする。それがわかっていても、今出版社は部数を盛れるほど楽観的な状況にいないのだ。

この状況が進んでいけば、新人作家の商業デビューの間口は狭まっていくし、それは結果的に市場のシュリンクにつながっていく。

ヒット作の稼ぎが安売りによって減れば、再分配されるべき富が失われ、結果的に新人が死んでいくという負のスパイラルが生まれることになる。

今出版社がやっているのは、たぶん電子書籍という新しい市場への投資であり、富の再分配だ。それは必要なことだと思う。

だけど、「じゃあ、いつこの投資を正しい形に戻すのか」ということも考えておかなければならない。

もちろん、値下げした上で十分な利益を上げる構造をつくるという手も考えられる。物流コストや印刷コストに代わって生じている、電子書籍化のコストやシステムへのコストを最適化して、値下げ分の利益を担保するという方法もあるだろう。

が、もしもそこの部分で担保する見通しながないのであれば、セールの慢性化はどこかでストップをかけなければならない。それはたぶん、新しい作品を、いろんな新人の作品を読みたいと思う読者にとっても必要なことなのだ。

だから、セール攻勢が続く今、僕は少しだけおっかなさを感じている。「どうか値下げしすぎないでくれよ」と読者として不思議なことを考えているのだ。

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。だいたい年間1000冊くらいマンガを買ってます。Twitterアカウントは@frog88

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