4年ぶりの日暮登場で考える、「サザエさん時空」ならぬ「こち亀時空」


本日30日は、朝から「こち亀」こと「こちら葛飾区亀有公園前派出所」がTwitterなどで話題になっている。「こち亀」読者にはおなじみの日暮熟睡男(ひぐらし・ねるお)が、ジャンプ誌上に登場したためだ。

日暮熟睡男は、4年に1度、夏季オリンピックが開催される年だけ登場するキャラクター。80年のモスクワ五輪以来オリンピックイヤーには欠かさず登場し続けている。ロンドンオリンピックが開催された今年も、きちんと誌面に登場したというわけだ。

この日暮熟睡男、4年に1度しか出ないという設定自体もすごいし、それが名物キャラクターになるほど続く「こち亀」という作品もすごい。だが、日暮熟睡男が成立するということ自体が、実はかなり特殊なことだったりもする。

■「こち亀」は「サザエさん時空」作品か?

「サザエさん時空」という言葉がある。「サザエさん」のように、どんなに時代が変わってもキャラクターたちが年を取らず、永遠に日常をループする作品の、特殊な時空間を指す言葉だ。連載開始から36年が経過する「こち亀」も、何度同じ季節ネタをやろうと、部長が定年することもなく、麗子も中川も若者のまま。そのため、「こち亀」は「サザエさん時空」を生きる作品の代表例に挙げられることが多い。

だが、「こち亀」の世界は厳密には「サザエさん時空」ですらない。「サザエさん時空」は、おおざっぱには「時間が止まっている」と説明されることが多いが、このときの「時間」には3つの意味がある。

1つは「年齢」としての時間、登場人物が歳をとるか否かという問題だ。これは「サザエさん時空」の大前提であり、キャラクターが加齢する物語が「サザエさん時空」にくくられることは基本的にはあり得ない。

もう1つは「成長軸」としての時間。これは、キャラクターたちが物語のなかで能力的、内面的に成長するか否かという問題だ。たとえば、「ドラえもん」では、のび太が必死にテスト勉強をして、ちょっとだけいい点を取るというエピソードがあるが、その話を機にのび太の成績が作中でわずかに上昇するというようなことは起こらない。喧嘩をしたり、より親密になるエピソードがあっても、のび太やジャイアン、しずちゃんたちの関係が変わることもない。多少の例外はあっても、のび太の経験や友人との関係は1エピソードで完結し、別のエピソードではまたリセットされるのだ(「ドラえもん」では、作中で徐々にマンガ家として成長していくジャイ子=クリスチーネ剛田が最大の例外だろう)。

最後は「時代」としての時間。長寿作品になると、作品の背景となっている社会自体が古びてリアル社会と乖離していくということがしばしば起こる。

もともと新聞マンガであった「サザエさん」も、当然本来は正しく「現代劇」だったはずだ。しかし、長い時間のなかで、サザエさん一家の家族形態、生活様式は2012年の我々の生活とは別のものに変わった。もちろん、20年前、30年前とすべてがまったく同じというわけではないだろう。しかし、サザエさんの世界で、スマホを使うマスオさんや、「発言小町」で悩み解決をしようとするサザエさんが描かれたら、多くの人が違和感を覚えるはずだ。「サザエさん」はそういう意味で、現代劇という建前を持つ一方で、事実上ノスタルジックな過去の(幻の)日本に時代が固定されているといえる。

より純度の高い「サザエさん時空」は、加齢はもちろん、成長面でも、時代面でも時間の変遷がない(もしくは変遷が極めて小さい)状態を指すといえる。ここでは仮にそうした純度の高い作品群を「第1種サザエさん時空」と名付けることにする。「サザエさん」「ドラえもん」あたりが第1種に分類されるだろう。

■加齢しないが、時系列は存在する「第2種サザエさん時空」

「第1種」と名付けるからには「第2種」もある(「ある」といっても私が勝手に分類しているだけだが)。

「第2種サザエさん時空」のモデルケースは「クレヨンしんちゃん」だ。「クレヨンしんちゃん」はやはり基本的に年齢時間が止まっており、主人公のしんのすけは永遠の5歳児だ。

だが、「クレヨンしんちゃん」の場合は、その世界が静止してはいない。正確には、少なくともごく最近までは静止していなかった。

象徴的なのは妹のひまわりだ。連載開始当初は一人っ子だったしんのすけだが、やがて作中で母・みさえが妊娠。妹のひまわりが生まれ、以後作品の主要キャラクターとして登場するようになる。また、母・みさえが免許を取得するエピソードもあり、以後みさえはペーパーではあるが、車の運転が可能になっている。

つまり、キャラクターは加齢こそしないが、経験的な成長、変化はするし、各エピソードは時系列で並び、そこで起こったことがリセットされることはないのだ。これが「クレヨンしんちゃん」の世界であり、「第2種サザエさん時空」に所属する作品の特徴だ。

第2種作品は、時代背景も比較的「今現在」に合わせてアップデートされる傾向にある。こうした変化が許容されるのは、作者が存命中であることが重要なポイントになっているのではないかと思う。作者という作品における神様が描く限り、多少大きな変化が加わっても、それはオリジナルであり、「正史」になり得る。

しかし、作者が亡くなってしまったら、大きな変更はできない。たとえば、サザエさん夫婦は年齢的にいったら第2子が生まれても不思議ではないが、作者の長谷川町子氏が故人となってしまっている今、そんなドラスティックな変更は「正史」として受け入れられにくいだろう。それは、誰も聖書を書き替えられないのと同じだ。

「クレヨンしんちゃん」の作者である臼井儀人氏は残念なことに09年に亡くなった。作品としては今後も生き続けるだろうが、同時に今後は「クレヨンしんちゃん」の成長もストップし、第1種サザエさん時空の作品に近づくことが予想される。

■「こち亀」で止まっているのは時間ではない

さて、遠回りしてしまったが、「こち亀」はどうだろう?

大前提として「加齢しない」のは間違いない。すでに述べたとおり、何度春夏秋冬を繰り返そうが、両さんは両さんだ。

では、成長面はどうか? もちろん極端には変わっていない。だが、キャラクターは作中で変化、成長している。たとえば、準レギュラーキャラクターである麻里愛は、当初女装の男性という設定だったが、後に作中で性別が女性に変わることとなる。本田速人のように作中で恋人ができることも珍しくない。つまり、キャラクターは加齢こそしないが、成長はしており、過去のエピソードが以降のエピソードでリセットされることはないのだ。

そして、時代はというと、これは常に現代。しかも、「なんとなく現代っぽい」どころではない。作者の秋本治氏の趣味人ぶりが作中で遺憾なく発揮されており、流行の最先端のネタを扱い、さらに流行よりも一歩先の発想を両津が実践する。カルチャー史の資料ともいえるほどにアップトゥーデートな作品が「こち亀」だ。

ここまでであれば、「こち亀」は、振れ幅が極端ではあるが、第2種サザエさん時空の例ということになる。

だが、問題は日暮だ。

日暮は現実世界での4年に1回登場するキャラクター。今回の登場でも、前回日暮が登場した4年前はどうだったかを回想する場面が出てくる。これはサザエさん時空を揺るがす大事件だ。

なぜなら、両津たちは加齢しないにもかかわらず、同時に作中では確実に4年の歳月が経過したことを許容しているからだ。これでは「サザエさん時空」の「時間・時代がループしている」というロジックは成立しようがない。

こういう重箱の隅をつつくような話は、野暮だ。「矛盾している!!」なんていうつもりはない。むしろ褒め称えたい。4年が経過していることを高らかに宣言しても、「こち亀」はみじんも揺るがないし、誰もそこで興ざめしたりもしない。そういう“いい加減さ”は、マンガの魅力であり、美徳だとすら思っている。

だが、その上であえて繰り返すなら、「こち亀」は「サザエさん時空」に成り立っている作品ではない。「時間は明確に経過している。だが、キャラクターは加齢しない」のだから。時間がループするわけではないのだ。

では、「サザエさん時空」でとらえられない「こち亀時空」の正体とは何なのか? それは、「時間が止まっているのではなく、キャラクターが止まっている」、つまり「不老不死のキャラクターたちが現代を旅する物語」というのが「こち亀時空」の正体なのだ。

だから、どんなに時間が経過しようが、そして、作中で経験を積み、変化しようが、両津たちは加齢しない。そして、どんなに「今現在」が変わろうと、両津の少年時代は昭和の下町、おばけ煙突が建ち並び、かちどき橋が開くその時代であり続ける。

両さんたちは、「サザエさん時空」すら抜けだし、永遠に「今現在」を生き続けている。両さんはひとつの時間に留まらない、永遠の旅人なのだ。

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。Twitterアカウントは@frog88

関連リンク
こち亀.com|集英社 こちら葛飾区亀有公園前派出所公式サイト

1件のコメント for 4年ぶりの日暮登場で考える、「サザエさん時空」ならぬ「こち亀時空」

  • sato より:

    サザエさん時空の作品の中での こち亀の特殊性はメタネタにある気がします
    オリンピックのようなイベント、
    クリスマスやバレンタイン、または初雪や新学期などの繰り返しは他の作品でも見られ、こち亀独自のものではありません。

    こち亀における「4年前は~」等の発言は作中時間よりも現実の視点での意味合いが強いのではないでしょうか
    もしサザエさんが「作者も年をとって若者の流行がわからないわねぇ」などのメタ発言を取り扱う作品であったなら
    きっとこち亀のように作中で「何年前に比べて~」というような話題も出ていたと思います

    余談になりますが
    サザエさんもクレヨンしんちゃんと同様に、作中でタラちゃんが生まれるなどの環境変化があったように思います

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