1週間前に何を食べたか、パッと思い出せるだろうか? 少なくとも僕は思い出せない。「そもそも1週間前って、えっと、何してたっけ?」という感じだ。
記憶力の問題といわれればそうなのかもしれないけれど、やっぱり人は日々の些事はすぐに忘れていってしまうものだ。そう、思い出せないというのは、つまり自分にとって些事だったのだ。
「いつかティファニーで朝食を」(マキヒロチ)は、朝食をテーマに20代後半の女性たちを描いている。朝食とアラサー女子という組み合わせは、なんだか不思議にも思える。だけど、これがハマッている。
毎回出てくる朝食がとにかくおいしそうというのももちろんある。築地市場内にある魚のおいしい和食処、「世界一の朝食」といわれる名店など、実在のお店とメニューが出てくるので、つい本当に足を運びたくなる。ハンバーガーひとつ取っても、なかに何が挟まっているのか、丁寧に描き出そうとしているあたりも食欲をそそる。
だけど、単なるグルメマンガではない。むしろ本作は朝食を通して、女性たちの人生を描いている。7年付き合った彼氏との別れと再出発、主婦としての自分への不満、仕事に追われる徒労感……全部朝食とは関係ない。だけど、朝食がうまい具合に彼女たちの問題を解きほぐしていく。
食事はある種の生活のバロメーターだ。忙しいとき、生活がルーチンになりきっているとき、食事はただの雑務になる。そういう食事を、僕たちはいちいち覚えていられない。
だけど、自分のために、誰かのために、思い切り時間と労力をかけることもできる。高級な料理でなくてもいい。大事に扱われた食事というのは、値段にかかわらず記憶に残るものだ。
たぶん、昨日、一昨日、先週、自分が何を食べたかという問いかけは、そのときどれだけ自分や誰かの生活に、丁寧に時間をかけてあげたかという問いかけに似ている。慌ただしく消費されるだけになりがちな朝食は、特にその温度差が激しくだろう。
仕事でも、恋愛でも、結婚でも、大人になると人は、誰かのために生きる時間が長くなる。そうして、大人はときどき生活が誰かのための時間だけになってしまう。
そのなかで、誰かが自分をいたわってくれる時間があれば問題はない。だけど、自分ばかりが頑張ってしまっていると感じる瞬間は誰にでもある。そんなとき、思い出してほしい。あなたをいたわるのは、誰よりもまずあなたなのだ。
食事を大事にすることは、ほんの少し、自分をいたわってあげることだ。誰かのためでなく、ほんのひととき自分のために時間を割いてあげることなのだ。
ちょっと贅沢な朝食がいきなり人生を変えることはない。だけど、日々に流されて活力を失ったとき、そういう自分のための時間が何かを取り戻させてくれることはある。「いつかティファニーで朝食を」は、そんな瞬間を上手に描き出して、僕らを少し救ってくれるのだ。
(このレビューは第1巻時点のものです)
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。この時期になると毎年スピッツの「夏が終わる」を聞きます。仕事のご相談とか承っていますので、お問い合わせかTwitterでお気軽にどうぞ。Twitterアカウントは@frog88。
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連載作品 | web@バンチ(「いつかティファニーで朝食を」)
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