メイクがくれる「身の丈」を超える勇気――「リメイク」(六多いくみ)


「身の丈を知る」っていうのは大事なことだ。無根拠な自信と肥大化したプライドを持つ続けたまま生きていくっていうのは、できるかもしれないけど、並大抵のことではない。けど、身の丈を知って、大人になった頃、偉い人たちから「身の程なんて知らなくていい!」なんてメッセージを受けたりする。「小さくまとまるな」というやつだ。思い返すと、僕も「じゃあ、結局どうすりゃいいのよ」と、随分戸惑ったり苛立ったりしてた気がする。

25歳の派遣OL・奥村かのこがまったくの未経験業種である百貨店の美容部員へと転身していく「リメイク」(六多いくみ)は、そんな「身の丈」の超え方を描いている作品だと思う。

自身もビューティアドバイザー(BA=美容部員)を経験している六多が描いているということで、いわゆる業界もの、お仕事ものとして、BAというお仕事の裏側を垣間見られるのが本作のひとつの魅力になっている。いわゆるデパートの化粧品売り場でフロントに立っている彼女たちが、どんな勉強をして、どんな気遣いや努力をしているかが作品の端々に描かれる。スキンケアをやっているといっても、まさか皮膚生理の勉強まですることがあるなんて、正直いって本作を読むまで想像もしていなかった。

だけど、「リメイク」の背骨は、タイトルのとおり、25歳からの人生のリメイクだ。

派遣の仕事は悪くないけど、良くもない。気がつけば彼氏は3年いない。自分の容姿にコンプレックスがあるわけじゃないけれど、取り立てて自信があるわけでもない。そして、本人もどこかで「こんなもん」というのを受け入れている。物語としても、転職で才能を一気に開花するようなサクセスストーリーではないし、劇的に好転する人生を描いているわけでもない。

かのこはたぶん自分の「身の丈」をよく知っている人なんだと思う。別に卑屈なわけじゃない。むしろバランス感覚のある人だといっていい。

だけど、身の丈にピッタリというのは、実は人を苛むものだ。

身の丈を知った人は、知ったがゆえにそれに合わせてしまう。何しろそれが自分の身の丈なわけだし、少なからぬ人が若いころに身の丈をわきまえない傲慢な振る舞いで痛い目を見ることで成長していくから、身の丈をわきまえることを大事なことと思う。

身の丈を知り、謙虚になる。それは大事なことだし、悪くもない。だけど、身の丈ピッタリに生きるとき、そこには成長している実感も前に進む充実感もない。

身の丈を知るのは、そこに合わせて生きるためではない。知った身の丈を少し超えるためなのだ。

だけど、身の丈を超えるというのは、案外簡単ではない。ほんの僅か上というのがどれくらいかなんてわからないし、年齢が上がるほど、大きなチャレンジへの恐怖は増す。超えることそのものよりも、踏み出す気持ちを持つことが難しいのだ。

「リメイク」でかのこの背中を押したのは、メイクだ。半分付き合いで立ち寄ったデパートでBAにメイクしてもらったことで、今まで知らなかった自分の顔を知る。そのことが心に引っかかり続けたかのこは、派遣の契約継続直前、土壇場で転職を決意する。

「化粧やおしゃれは誰のために」という話は(特に女性の話として)よく出て、そのたびにいろいろな意見が出る。そして、そのなかで「自分のため」という見解もよく出され、反発を受けたりもする。

だけど、化粧をする、おしゃれをする、そうして少しだけ違う自分になるのは、きっと「身の丈を超える」ことのひとつなんだと思う。そしてそれは、容姿だけでなく、ほかの何かで身の丈を超えていくための勇気にもなる。

何気なく見ていた1巻カバーの化粧をするかのこの姿が、読み終わったとき、なんだか少しかっこよく見える。おしゃれを「女子の戦闘服」なんていうこともあるけれど、メイクする彼女の姿は戦う強さを持っている。

(このレビューは第1巻時点のものです)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。2012年はだいたい1000冊ちょっとマンガを買ってました。Twitterアカウントは@frog88

関連リンク
マッグガーデン・コミック・オンライン – 全部無料で読める! マンガの庭!(「リメイク」作品ページ)

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