ペットマンガはなぜ幸福なのか? ディスコミュニケーションの幸せを噛みしめる1冊――「いくえみさんちの白い犬」(いくえみ綾)


いくえみ綾といえば、愛猫家の作家として有名で、飼い猫に関するエッセイマンガだけでも複数単行本になっている。そのほかの作品でも柱やあとがきマンガで飼い猫のことを描いていることが多いので、彼女のペットマンガを読んだことがある人は多いだろう。

そんないくえみ綾の犬マンガが本作だ。お向かいの家で飼われていたシロ(白いから“シロ”!)が、いくえみ家にもらわれてくる経緯や、それからの日々が描かれている。過剰にかわいがるわけではなく、ときには足でなでてみたり、犬臭さを指摘してみたりと、ぞんざいに扱われている部分もあるが、それでも2人(1人と1匹)の関係は幸福感に満ちている。派手な話はほとんどないが、読んでいてほのぼのとする。帰宅中や寝る前などにちょっとずつ読みたい作品だ。

さて、そのなかに、「ちょこっとエスパー」という話がある。「動物の気持ちがわかったらどうだろう」といくえみが考える内容だ。もちろん犬や猫といった動物と暮らしていれば、ある程度その気持ちはわかるようになる。相手が何を求めて鳴いたり、ウロウロしたりしているか、おおむね察しはつく。だが、なかには人間の勘違いもあるし、病気や体調の変化は人間のようにはっきり表明できないから、気付きにくい。動物とのコミュニケーションは不完全で不便だ。

だが、いくえみは「心が読めたら便利だな」と思いつつ、「全部わかるって大変じゃね?」と語る。カオスな(と思われる)犬の思考が全部わかったら、それはそれでめんどくさいというわけだ。だから、彼女はこの話を「(気持ちを)そうぞうするので大丈夫」「たぶんかなり大丈~夫」と締めくくっている。

このエピソードを読んで、いくえみペット作品の幸福感は、そういうところにあるんじゃないかと思った。想像の余地があるから、シロのいろんな気持ちをかわいく描けるという意味もある。だけど、むしろ何となくしかわからないということが重要なのだ。

人は結局動物の気持ちを何となく察するしかない。だから、察してあげようと努力するし、わかり合えないことに寛容になれる。なまじ言葉の分かる人間が相手だと、人はついそこまでの努力を払わなくなってしまう。

いくえみ綾とシロの関係が幸福感に満ちているのは、実際に2人がわかり合えているからでなく、いくえみ綾のわかろうとする、その想像力がやさしいからなのだ。

(本作は1巻完結です)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。最近、ヘッドホンを替えました。あと、タバコを軽いのに変えたりもしました。Twitterアカウントは@frog88

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