40年後の東京を社会システムからデザインする想像力――「なりひらばし電器商店」(岩岡ヒサエ)


岩岡ヒサエの作品は、一種のセンスオブワンダーを持っている。

かわいらしい絵柄と、あたたかいヒューマンな作風があまりに魅力的なため、つい語るのを忘れてしまいがちだが、同人時代の作品をベースにした「ゆめの底」からして、この世のものとは思えない、不思議なコンビニが舞台となっていた。文化庁メディア芸術祭でマンガ部門の大賞を受賞した「土星マンション」では、人間が地表を遙か離れたコロニーで暮らすようになった世界を描いているし、連載中の「星が原あおまんじゅうの森」は精霊たちの暮らす森の物語だ。

「なりひらばし電器商店」は、そんな岩岡ヒサエの想像力が辿り着いたひとつの到達点だ。

本作の舞台は、スカイツリー完成から40年後の東京・なりひらばし。そこに引っ越してきた大学生の主人公・森初音が、祖母の営む電器商店の手伝いを通じてさまざまな人に出会い、思いを巡らせる様子をあたたかく描いている。

物語自体はもちろんだが、面白いのは岩岡が描く40年後の東京の姿だ。フィクションにおける未来像というのは、ともすると単にテクノロジーが発達した現代社会になりがちだ。立体ビジョンが一般化していたり、より速く便利になった移動手段が生まれていたりするが、その土台となる社会システム自体は今とほとんど変わらないなんてことは珍しくない。

「なりひらばし電器商店」の世界は、むしろその逆といっていい。テクノロジーももちろん発達しているが、一方で街並みはむしろレトロな下町のイメージが強い。だが、社会システムは大きく地殻変動を起こしている。リサイクルへの意識がより強くなった40年後の東京では、リデュース(減らす)・リユース(再利用)・リサイクル(再循環)を旨とする3R法という法律が成立。ゴミを増やすことになるチラシの配布が禁じられたり、食べ物などの大量廃棄が刑罰対象になっていたりする。初音の祖母が営む電器商店も、商品の販売というより、修理とリースがメインとして描かれている。おそらく新製品への買い換え(=大量消費と廃棄)という文化が後退した結果の業態ということだろう。

つまり、本作における未来像というのは、テクノロジー以上に、政治的、社会的想像力によって生まれた未来像なのだ。「土星マンション」でも、コロニーで暮らす人々のカーストなど社会システムが作品の背景になっていたが、そういう社会システムに対する想像力が、この作品ではさらに細かく積み上げられている。

たとえば、作中では200円のカレーパンが「いつもの半額」の価格と説明される。単にインフレが進んだ結果と読むべきかもしれないが、大量生産・大量廃棄という産業システムが禁止された結果ととらえることもできる。大量生産ができなければ、大手の生産メーカーもコストメリットが小さくなるだろう。大量廃棄ができない以上、おそらくコンビニやスーパーなどは仕入れを極小化して、売れるたびに仕入れるというように流通の細分化を図らなくてはならなくなるはずで、流通コストも上昇する可能性が高い。結果として食品のような保存が利きにくい商品の価格が上がったという読み方だ。

実際にどこまで細部まで緻密に設計してあるかわからないし、カレーパンの価格に関しては深読みのしすぎという可能性も高いだろう(実際、商店街の小さな店で多少の廃棄を前提としたところで、コストメリットが出るとは考えにくい)。だが、そういうことを想像させるだけのディテールが、本作には描かれている。

1巻のあとがきで岩岡は、この作品を「ゆるい内容」と表現しているが、その世界を支えているのは決してゆるくない社会デザインへの想像力なのだ。

(このレビューは第1巻時点のものです)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。年末は「どうぶつの森」で過ごします。Twitterアカウントは@frog88

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