不幸が悲劇になる、ほんの少し手前で――「ないしょの話〜山本ルンルン作品集〜」(山本ルンルン)


山本ルンルンというのは、実に絶妙な名前だと思う。“ルンルン”という底抜けに明るい響きと、メルヘンチックでキュートな絵柄が、甘い物語を予感させると同時に、名前としてはあまりに不自然なフレーズと可愛すぎて生々しさがない絵柄がある種の不穏さを予告する。そして、その予感のとおり、寓話的でキュートな物語は、常にどこかに毒気を持っている。

「ないしょの話〜山本ルンルン作品集〜」には、そういうバランス感覚の真骨頂ともいうべき6篇の短編が収められている。野良犬と同じノリで宇宙人が街を歩いている世界が舞台の「ミス・シュワルツは絶望している」、大規模なゾンビ被害から12年、ゾンビと共存するようになった世界が舞台の「空色のリリィ」など、どの作品も設定はどこかファンタジック。けれど、どの作品もどこかに不幸や悲しみを抱えている。

こういう作風は、ときとしてギャップを強調するあまり、残酷さやグロテスクさみたいなものが全面に出る場合が多い。だけど、「ないしょの話〜」の収録作が面白いのは、不幸を描きながら、悲劇になってはいないところだ。

たとえば、「空色のリリィ」の主人公・ケイトは、12年前のゾンビ騒動で家族を失い、結果、生き残った父や自分も決定的に何かを損なわれてしまっている。幼馴染の少年も、生きてはいるけれど、ゾンビとなって5歳のときの姿のまま、オリの中で暮らしている。

それは拭いようのない不幸だ。誰もどうすることもできない、降って湧いた事故のような不幸だ。だけど、物語はギリギリのところでその不幸を悲劇に変えない。

不幸は悲しいことだけれども、人の死も不運な事故も、世界には満ち溢れている。そして、そういう不幸を経験することは悲しいことだけれども、不幸に見舞われた人が必ず不幸な人生を歩むわけではない。

不幸が悲劇になるのは、不幸を不幸として受け入れ、不幸とともにあることを選べなかったときだ。

「ないしょの話〜」は不幸と悲劇の狭間にいる人たちを描いている。不幸に、悲しみに、悲嘆にくれるなかで、だけど、悲劇の底に落ちるギリギリのところで踵を返す、そういう人間の物語だ。

毒気混じりのこの作品が、決して毒そのものではないのは、そういう一握りの希望を携えているからなのだ。

(本作は1巻完結です)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。2012年はだいたい1000冊ちょっとマンガを買ってました。Twitterアカウントは@frog88

関連リンク
小学館:コミック 『ないしょの話~山本ルンルン作品集~』

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