「文系スポ根」というジャンルは、マンガの世界では完全に定着した。このジャンルのパイオニアである、百人一首をテーマにした「ちはやふる」(末次由紀)をはじめ、将棋、音楽、クイズなどなど、多種多様なモチーフで、しかも男性誌・女性誌を問わず描かれている。
そんな流れは、とうとう白泉社・花とゆめまで届いた。「星空のカラス」(モリエサトシ)は、囲碁の世界で戦う少女を描いた、まさに文系スポ根のど真ん中みたいな作品だ。
とはいえ、最近特にイケメン・王子様的なキャラクターのイメージが強く、極めてキラキラした感じの花とゆめで、こういう一種汗臭さを感じさせる作品が出てきたこと自体は意外性があったが、文系スポ根はすでに述べたとおり定番ジャンルであり、それ自体は別に新鮮味のあるものではない。
だが、「星空のカラス」の熱血感は本物だ。もちろん少女マンガらしく、ほのかな恋心みたいな要素も入っているが、根底にあるのはピリピリとひりつく勝負の熱さだ。
美人なんだけど、ちょっと抜けてて、勝負(囲碁)になると、もはやなりもふりもかまわないという主人公・烏丸和歌というキャラクターは、ただ囲碁が好きというよりも、それ以外に何も持っていないというくらいののめり込み方をしている。そういう部分は、「ちはやふる」を彷彿とさせる部分があるのだが、「ちはや〜」と本作は、たぶん底に流れる勝負観が違う。
「ちはや〜」は、敗者の物語だ。華やかな勝者の裏で無数に生まれる、日の当たらない敗者(あるいは弱者)たちの見えざるドラマや思いを徹底的に描いているからこそ、「ちはや〜」の試合は何度繰り返されても飽きない。そして、それを裏打ちしているのは、戦う本人だけでなく、それを支えてきた友人や家族との絆や思いだ。百人一首が究極的に個人戦の競技でありながら、「ちはやふる」には強烈な「仲間」の匂いがある。
「星空のカラス」は、ある意味、そういうものとはまるで逆の戦いを描いている。
烏丸和歌は憧れとすべき棋士に出会い、作中でこう語る。「つよくなって あの人と本気のやりとりがしたい」。
この言葉は、裏返せば、彼女たちが囲碁以外では語るべき言葉を持たないことを意味している。実際、彼女に囲碁を教えた祖父は、偏屈で家族にまで憎まれた棋士だった。だが、囲碁を通して祖父と向き合った和歌だけは、彼の語られざる心中に少しだけ触れて育っていた。
この祖父にしろ、和歌にしろ、本作のキャラクターたちは、囲碁でしかその心中をぶつけ合えない人たちだ。語るべきものがないのではなく、それしか方法を知らず、結果的にどこかに深い孤独を感じさせる。だから、「星空のカラス」には、勝敗にかかわらず、どこかに孤独の救済の匂いがする。盤上で激しくぶつかり合った者同士の、「仲間」とはまた違う、一種の絆の匂いだ。
いわばそれは、「北斗の拳」(作:武論尊/画:原哲夫)における「強敵(とも)」の概念だ。拳を合わせることでしか語れない男たちの絆であり、ある意味では生死を賭けて戦うことで救われていく関係だ。
花とゆめという少女マンガのど真ん中で、これくらい無骨な背骨を持つ作品が出てくるとは、正直まったく思っていなかった。本作自体の輝きはもちろんだが、「今年の花ゆめはすごそうだ」という予感まで感じさせる作品だ。
(このレビューは第1巻時点のものです)
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。最近、読むナビさんでオススメ紹介を始めました。Twitterアカウントは@frog88。
関連リンク
星空のカラス | 白泉社
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