仕事における「主役」は誰なのか?——「重版出来!」(松田奈緒子)


「脇役にスポットを当てた作品」といわれるドラマはたくさんある。お仕事マンガというジャンルでは、特にそうだ。出版業界を描いた作品でいえば、「働きマン」(安野モヨコ)なんかが一番知られているだろう。そこでは、出版という世界の、いろんなポジションの人間のドラマが描かれている。

とある出版社を舞台にした「重版出来!」(松田奈緒子)も、同じく出版マンガであり、お仕事マンガだ。編集、営業、書店まで含めて、1冊の本が読者に届くまでを丁寧に描いている。

だが、「重版出来!」はそういう「脇役にスポットを当てた作品」とは少し違う。

縁の下で支える仕事はたくさんある。というよりも、世の中の仕事のほとんどは、縁の下で支えるタイプのものだ。お仕事マンガは、その仕事にスポットを当てて、ドラマを作っていく。そして、脇役である彼らが主役になる瞬間を切り取っていく。それはドラマとして正しい。人は誰もが、主役を張る瞬間がある。

だけど、「重版出来!」が描くのは、バイプレーヤーたちが、バイプレーヤーとして戦う姿だ。編集はいい作品を作るために力を尽くす。営業は売るために地道な展開を行う。そして、書店へ本が届いていく。

その誰もが、熱い。だけど、どの人もドラマの主役になる瞬間のために働いてはいない。

「重版出来!」の主役、ど真ん中にいるのは、マンガそのもの、本そのものだ。誰もが本のために働いている。「働くことが自分のためである」ということですらない。結果として仕事の中に何かを見出していく姿は描かれるけれど、彼らの自己実現のドラマではないのだ。

「本が私を人間にしてくれた」。作中である人物が語るセリフだ。「重版出来!」の仕事観は、おそらくこの一言に集約される。主役になる瞬間があるから働ける、ということもある。だけど、自分以外の何か、自分を救ってくれたものが正しく主役になるために、彼らは働いている。

働くことに迷ったとき、多くの場合、人は「自分にとって仕事とは何か」「もっと自分にとっていい働き方があるのではないか」ということを考えている。それはひとつの考え方として正しい。

だけど、「重版出来!」は「仕事のためにどう働けるか」という観点に立っている。「社畜」と笑う人がいるかもしれない。でも、どうだろう。そこで描かれる人たちは皆、熱く、嬉しそうで、輝いている。だから、読む人の胸を打つのだ。

(このレビューは第1巻時点のものです)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。2012年の年間マンガ購入数が1000冊を超えてました。読むナビさんでオススメ紹介を始めてます。Twitterアカウントは@frog88。行くぞ! 重版出来!!

関連リンク
ビックコミックスピリッツ「重版出来!」特設サイト | 試し読み

No comments yet.

この記事にコメントする

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)