“怪談になる前”の異形の一瞬――「後遺症ラジオ」(中山昌亮)



「後遺症ラジオ」(中山昌亮)
トラウマ:★★★★½
異形感:★★★★☆
不安感:★★★★½

怖い話の代表例といったら怪談だ。怪談は物語としての恐怖の最終形で、怪異とそれに付随する因果や由来、場合によっては一種の教訓めいたものが組み合わされてできている。余計なものもないし、足りないものもない。だけど、それはあくまで物語化した恐怖の最終形だ。

「後遺症ラジオ」(中山昌亮)は、いわば怪談になる前の、生の怪異譚だ。因果も由来も見えぬまま、ただ突然日常に入り込んできた異形の瞬間が淡々と提示される。重ねられるエピソードのなかで、少しずつ怪異は物語らしきものを形作るが、個々の登場人物に降りかかる出来事は、物語的意味をほとんど持っていない。たぶん、実際に自分の身に怪異が降りかかったら、こういう感じだ。理屈もクソもない異形。そういう生々しさが「後遺症ラジオ」の恐ろしさなのだ。

【ここにも注目!】
カバーイラストも含め、異形感のある絵も本作の怖さを形作る要素。ビジュアル的にも因果や由来を感じさせず、“物語”的なところから切り離されているところが、その異形さを形作っている。

(このレビューは第1巻時点のものです)

記事:ネルヤ編集部

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