アラサーの新たな旗手が描く、「29歳の自由」という不幸——「おんなのいえ」(鳥飼茜)


何年くらい前からだろう。アラサー女子という世代を、多くの女性作家が描くようになった。そして、そういう作家たちのなかで、今もっとも不確かな不安を的確に突いているのは鳥飼茜だと思う。

モーニング・ツーで連載していた前作(といっても完結巻が出たばかりだけど)「おはようおかえり」もそうだった。もともとは2人の姉を持つ、京都の末っ子長男のゆるめのコメディとして始まった作品だが、連載が進むにつれ、徐々に2人の姉の人生を描く部分が重さを増していく。終盤には主人公であった弟・一保よりも、姉2人の物語のほうが熱を帯びていたといっていいだろう。おそらく(本当に推論なんだけど)、描くなかで彼女は妙齢の女の人生に、より深いテーマを見出していったんだと思う。

そんな鳥飼の新作が本作「おんなのいえ」だ。タイトルからしてちょっと恐ろしいこの物語は、29歳で彼氏と別れた有香がいったん実家へと戻るところから始まる。結婚を意識していた相手と別れるだけでも(しかも29歳!)ダメージが大きいところに、実家に戻れば母親や妹という家族ならではの厄介な距離感が襲ってくる。

有香はその後、妹とともに東京に戻ることになり、そこで新しい生活を始めることになる。新しい生活では、もちろん(物語の必然として)新しい恋の予感も訪れる。それは、アラサーで意図せずすべてをリセットされてしまった女性の、一種の冒険活劇だといってもいい。

ただ、鳥飼が鋭いのは、そこに家族を絡めてきている点だ。

「おんなのいえ」というタイトルが示すように、本作は女の物語であると同時に、家、つまり家族の物語だ。ありがたくも迷惑な実家の母との関係、お調子者で疎ましく感じることもあるけれど、嫌い合っているわけではない妹との関係。そういう女同士、家族同士の不思議な距離感をベースに、アラサーの不安や手触りのハッキリしない痛みが描き出されている。

そこで描かれているのは、たぶん「29歳の自由」という名の苦悩なんだと思う。

僕らは自由であることを素晴らしいことだと思っている。実際、抑圧や精神的な縛りは人を不幸にする。自由であることは、人にとって必要なことだ。そして、人の成長プロセスは、おおむね自己責任と自由の獲得とセットになっている。たとえば、家族は人に役割を与える。まず最初に与えられるのは“子ども”という役割だ。親のありがたさは同時に理不尽であり、庇護という恩恵とトレードオフで、子どもは不自由を抱えることになる。

だから、人はまず親から自由になろうとする。それはある瞬間に突然自由になるわけではなく、少しずつジワジワと進み、気付けば当たり前のように親との関係が変質している。多くの場合は、そういうものだ。

29歳の自由というのは、そういうことだ。当たり前だが、男女を問わず、それくらいの年齢になれば、親の強烈な支配というのはなくなっている。少なくとも健全な成長モデルをたどることができれば。ないがしろにできるという意味ではなく、大人として自由に生き方を選べる。

しかし、自分が30歳を超えてようやく気付いたことがある。「選べる」ことと「選んだ」ことは違う。そして、選べる自由のなかで、何も選び取っていないことは、人を苛む。

僕らは今、選択をしないことを選び続けることができる。誰かとともにあることを、あるいはひとりでい続けることを、昔よりもずっと長い間、保留にし続けて年齢を重ねられる。「人生はいつでもやり直せる」という美しい言葉を都合よく味方に付け、まるで若者時代をそのままに、いつまでも続けられるかのように振る舞える。だけど、保留は保留に過ぎない。

保留し続ける「私」は、自由であるがゆえに、不確かで心許ない。自由になった僕らは、新しい不自由を、誰かといる不自由を、誰かといない不自由を選び取ることでしか、何者かになれないのだ。

30歳という年齢は、人に締め切りを意識させる年だ。何を選び取るかという問題には明確な締め切りがない。だけど、人は30歳を前に、その保留が永遠には続けられないことを意識するのだと思う。

「おんなのいえ」は、そういう年齢を前にして、家族を持ってきている。“子ども”時代の不自由にもう一度逃げ込ませてくれる最後のチャンスであると同時に、新しい不自由を受け入れる覚悟をする年齢に。家族という不自由がこの年齢になってもう一度首をもたげてくるのは、ある種の必然なのだ。

何かを選び取ることは、幸福であろうとなかろうと、不自由には違いない。けれども、自由であることが人を苛むことに、たぶん鳥飼は気付いている。アラサーの不確かな不安とは、きっとそういう不自由の選べなさの上にあるものだ。

「おんなのいえ」は、女と家族の物語であるけれど、保留し続けられる時代にあって、大人になるためにどんな不自由を選ぶかという、誰もが抱える問題を描こうとしている。彼女たちは、そして僕たちは、不自由を選び取る、そういう責任をもう取らなくてはならないのだ。

(このレビューは第1巻時点のものです)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。2012年の年間マンガ購入数が1000冊を超えてました。読むナビさんでオススメ紹介を始めてます。Twitterアカウントは@frog88

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