2011年のケンタウロスマンガブーム以降なのか、「モンスター娘のいる日常」(オカヤド)の快進撃以降なのか、それともそれ以前からの定番とみるか、どこを契機とするかは難しいが、ここ数年で、一般商業誌における人外系作品、ケモナー向け作品の存在感は確実に増してきている。
「トド彼」(高嶋あがさ)は、そういうケモナー系作品の極めつけのひとつだ。
「トド彼」というタイトルは、読んで字の如く、トドの彼氏のこと。29歳のOL・茶山さんとその同僚で32歳のトド・トド山さんのゆるゆるとした日常を4コマ形式で描いている。
ケモナー系作品に分類しているのでお察しいただけると思うが、トド山さんは「トドっぽい人」ではなくガチでトドだ。喋れるし、立って歩くけれど、足はないし、服も着ない。見た目は完全にトドだ。
「トド彼」の世界では、人間以外の種族が人間同様に暮らしているのが普通で、トド山さん以外にもたくさんの動物系キャラクターが登場する。茶山さんの同級生にも猫がいるし、会社の上司(課長)はウミウシだ。別種同士で結婚するカップルも当たり前にいる。
だが、「トド彼」がケモナー系の極めつけだと思うのは、バリエーションや世界観からではない。
ケモナー系の物語というのは、当たり前だけれども、種族の違いというのがお話の大きなポイントとなる。恋愛ものならなおさらだ。生態の違い、種族による価値観の違い、行動や生活習慣の違い……そういうさまざまな差異が物語を作っていく。
だけど、「トド彼」はそういう部分をほとんど描いていない。茶山さんがトド山さんに惚れたきっかけが、トドならではのぽっこりとしたお腹のラインだったり、ヒレの冷たさに感じ入ってみたりと、ところどころトドっぽさを改めて感じる描写はある。けれども、そういう部分は物語において非常に小さな店で、「トド彼」の中心には、ごくありふれたアラサーカップルの生活と人生がある。
発情期でHをしたいときに限って親戚の子が泊まりに来て機嫌が悪いトド山さんとは対照的に、小さな子ども(ちびトド)に楽しくなる茶山さんといった話や、SNS(Facebookっぽいやつ)で元カノを発見してモヤモヤするトド山さんといった話……。ハッキリいえば、どれもトドである必要のない話で、正直なところ、読み進めていくうちにトド山さんがトドであることを忘れてしまいそうになる。だいたい、トド山さん、トドなのに岐阜(海なし県)出身だし。
せっかくの設定を活かしきっていないととらえれば、作品としてはどうなんだろうと思うところもある。だけど、それでも読ませてしまうのは「トド彼」の面白さだ。
たとえば、前述のちびトドが来るエピソードでは、ちびトドばっかり優先する茶山さんに嫉妬したトド山さんが、ちびトドに大人げなくライバル意識を燃やしてみたりする。一方で、ちびトド含めて3人で歩いているとき、茶山さんは「家族みたい」と思いながら、実際に口にするのをためらったりする。子どもを見て、同性としてライバル意識を燃やす彼氏と、結婚が頭をよぎるけれど、口にするのが怖い彼女という、実にアラサーらしい描写だ。
元カノのSNSを見てもやっとするトド山さんと、あえてそこに突っ込まない茶山さんというエピソードも、同世代としては考えてしまうところだ。
こういう、家族を意識するけれど、家族という枠組みや約束を持っていないアラサーカップルの日常や機微こそが、「トド彼」というお話の本質なのだ。1巻後半には、トド山さんの父親の話も出てきて、この家族への意識というのがより色濃くなっていく。
少し大げさにいえば、「トド彼」で描かれているのは、「彼氏がトドなら」という話ではなく、「すべての彼氏はトドである」ということなのだと思う。
トドの姿をしているトド山さんを、僕らは無意識に「トドだから、当然自分とは違う」という前提で見る。だけど、同じ人の姿をしていても、たぶん僕らはそれぞれが茶山さんとトド山さんくらい、何もかもが違っている。はなから違う2人が、どういうふうに一緒にいるのかという問題は、彼氏がトドでも人でも変わらない。
そういう意味で、動物・人外をテーマにしながら、一周回ってごくごく普通の人間同士を描く「トド彼」は、ケモナー系の極北であり、究極のアラサー共感マンガなのだ。
(このレビューは第1巻時点のものです)
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。年間のマンガ購入量はだいたい1000冊ほど。あまり知られていなかったのですが、専門はラブコメ・恋愛マンガ全般です。Twitterアカウントは@frog88。
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やわらかスピリッツ – トド彼 | 作品詳細
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