「萌え」は、猫耳やアホ毛、ツインテール、メガネッ子など、記号化・定型化文化とともに進化してきたという側面がある。ある意味では、現実以上にビジュアルが担っている意味は大きいかもしれない。だが、「のぼさんとカノジョ?」(モリコロス)は、そのまるで逆の方法で強烈な「かわいさ」を演出している。
本作は、お人好し大学生の“のぼさん”と、その彼女の同棲生活を描いたほのぼの系作品だ。だが、普通のカップルとはちょっとだけ違うところがある。のぼさんの彼女は、部屋に棲みついていた幽霊なのだ。
幽霊だから、“カノジョ”の姿は見えない。言葉も発せない。だから、コミュニケーションは基本的にホワイトボードを使った筆談になる。だが、ときには物の動きで、ときには筆跡で感情を表現するカノジョは、姿が見えないにもかかわらず極めて表情豊かだ。
体を持たないカノジョとの関係は、一見究極のプラトニックラブだ。そして、記号的ビジュアルを持たないスタイルは、「萌え」の流れとも異なる。しかし、物語を通して浮かび上がるカノジョのかわいさは、極めて萌えに近い。
マンガにおいて見えないというのは、「存在しない」という意味ではない。デフォルメされた絵が、常に読み手の想像力が介入する余地を残しているように、カノジョの姿は描かれないからこそ、読者ひとりひとりの想像力に委ねられる。つまり、見えないカノジョは、ある意味では、どんなキャラクターよりも豊かな肉体を持っているともいえるのだ。
物語そのものは、オーソドックスな同棲カップルのそれでありながら、ずば抜けてキュートであたたかな読後感を与えるのは、見えないという表現の豊かさゆえなのだと思う。
(このレビューは第1巻時点のものです)
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。最近、読むナビさんでオススメ紹介を始めました。Twitterアカウントは@frog88。
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