ありきたりさの先にある無二のドラマ性——「四谷区花園町」(高浜寛)


ドラマチックな物語というのは、それだけで人を惹きつける。見事なドラマ性をつくれれば、その物語は名作になり得るといっていいだろう。だが、じゃあ、ドラマチックでない物語は、面白くないのだろうか?

「四谷区花園町」(高浜寛)は、いわばドラマチックさを遠く離れた作品だ。大正末期から始まるこの物語の主人公は、エロ系雑誌のライターをつとめる青年・三宅至心。本作は、通称「イシン」と呼ばれる彼が、猥雑でいい加減、そしてどこかのどかな時代の空気のなか、生活していく様を描いている。

たとえば、第1話は新雑誌の編集長と夜の街に取材(と称した遊びみたいなノリだが)に出た至心が、美人立ちんぼを見つけて誘い出すというお話。意気揚々と出かけるが、やたらと酒を飲ませてつぶそうとするその立ちんぼを不審に思い、「おおかた潰して金を取るつもりだろう」と警戒する至心だが、実はその立ちんぼ、男だったというオチで終わる。

「四谷区花園町」は、そんな話が淡々と続いていく。第2話は「女性に性欲はあるか?」という特集を組むために奮闘する滑稽な姿が描かれ、第3話では地方の奇祭に取材しにいった至心のエピソードが描かれる。物語は少しずつ至心自身に寄っていくが、それでもエピソード一つ一つを取り出せば、ドラマチックさとはかけはなれた、ささやかなものばかりだ。

だが、面白いのは、読み終わって物語全体を見たとき、ささやかなエピソードの積み重ねだった本作がきわめて鮮やかで、ドラマチックさを感じさせるところだ。

大げさな言い方だが、「四谷区花園町」が描いているのは、たぶん人生そのものなのだ。至心という人が、気ままに遊び、悩み、恋をして、結婚する。そのひとつひとつは、その辺にもよくあるありきたりな話だ。だけど、その誰にでもある話を丁寧に重ねた結果、どこにもないドラマチックさが生まれる。

ドラマチックさを遠く離れた「四谷区花園町」は、ありきたりな暮らし、ありきたりな愛の先に、ドラマを見いだしている。高浜寛は、相変わらず恐ろしい作家なのだ。

(本作は1巻完結です)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。年間のマンガ購入量はだいたい1000冊ほど。あまり知られていなかったのですが、専門はラブコメ・恋愛マンガ全般です。Twitterアカウントは@frog88

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四谷区花園町|書籍|竹書房 -TAKESHOBO-

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