金田一蓮十郎作品は、一言でいうとメドローアだ。
メドローアは、「DRAGON QUEST ダイの大冒険」(原作:三条陸/漫画:稲田浩司/監修:堀井雄二)に出てきたオリジナル魔法で、火の魔法・メラと氷の魔法・ヒャドをぶつけることで、とんでもない威力がどうたらこうたらという少年誌らしいハッタリとワクワク感のある呪文だ。ベクトルの違う2つを掛け合わせるこの呪文は「センスがない奴は一生できない」と説明されている。
金田一作品は、まさにこの呪文の特徴どおりだ。まつげや頬、口元に特徴のあるかわいらしい絵柄で、毒っ気のあるネタやキャラクターを描いてみたり、ゆるやかな日常劇っぽいエピソードとは対照的に、作品全体は先が読めないジェットコースター的な設定・要素を詰め込んでみたりと、常にアンビバレントな要素を抱えており、それが独特の読み味を作っている。こうした要素を両立させるには、やっぱりセンスが必要という点もメドローアと似ている。
「あるみちゃんの学習帳」(金田一蓮十郎)には、そういう金田一らしさが詰まっている。16歳のごく普通の女子高生・あるみが、ある日自分が天才科学者である兄によって作られた精巧なロボットであることを告げられるという設定をはじめ、いかにもマンガらしいおおらかな、とらえようによっては割といい加減な世界観で描かれる本作は、基本的にはコメディだ。
キュートなあるみちゃんの笑顔に癒され、引きこもりのダメ兄や毒舌が過ぎるペットロボットに笑い、ロボットであることがバレそうになるたびにドキドキし、隙あらばおっぱいを描こうとする作者の執念に感じ入る、そういう作品になっている。
だが、このコメディっ気の強い物語には、いつも悲劇の影が見え隠れしている。
ある日突然自分がロボットであることを告げられるというのは、どう考えても悲劇だ。人間とまったく同じ心を持ちながら、決して人間と同じように人生を歩むことはできない。結婚も、出産も普通にできるとは思えない。ロボットであることがバレたらスクラップにされてしまうから、ずっと秘密を抱えたまま生きなくてはならない。
ただのコメディなら、ギャグっぽく流せるそういう悲劇性を、「あるみちゃんの学習帳」は真っ正面から描いている。しかも、「笑わせて、最後に泣かせる」といったメリハリのあるドラマ作りになっているわけではなく、ごく普通のコメディのなかに当たり前のように悲劇性が同居している。
金田一蓮十郎のコメディは、そんなふうにいつも危うい悲劇の上で成立している。それはもしかしたら、本来悲劇と喜劇の境目がない現実に似ているのかもしれない。
(このレビューは第1巻時点のものです)
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。最近、読むナビさんでオススメ紹介を始めました。Twitterアカウントは@frog88。
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