それをいったらおしまい、というフレーズがある。たとえば「かわいいから許す」。身も蓋もなさすぎて、もはや二の句は継げないし、かといって、あまりに主観的すぎてそこにほとんど語られるべき内容もない。なので、何かについて少なくともこんなふうに話をするのであれば、「かわいいから許す」というのは禁じ手なのだ。
そんなわけで、「f人魚」(G3井田)について書くに当たって、最初にメモした「かわいいから許す」というフレーズを僕はまず消した。少しはマジメに書くべきだという反省を込めて。
「f人魚」は、【えふにんぎょ】でなく【ふにんぎょ】と読む。あえて漢字で書けば「腐人魚」。ある日、波打ち際でBL本を拾って腐女子として目覚め、「地上は男同士で愛しあうのが当たり前の楽園」と勘違いした人魚のメロが、魚マニアのイケメン研究者・澪二と出会い、地上で暮らし始めるという4コママンガだ。
この設定だけ聞くと比較的わけがわからないのだけれども、これがうまーくできている。メロは地上ではBLが当たり前と勘違いし続け、澪二とその後輩・辰水(男)が恋人同士だと思い込み、「生の交尾を見せろ」と迫る。一方、辰水は突然現れたメロの正体が人魚だとは知らないため、澪二の恋人だと勘違いする。澪二に恋心をよせる七瀬もやはりメロを澪二の恋人だと勘違いし、焦るが、メロは七瀬を澪二と辰水カップルを見守るBL好きの腐女子だと勘違いして仲良く接する。その他、出てくるキャラ出てくるキャラ、全員が登場人物たちの正しい関係を把握できていないまま、物語は進んでいく。唯一、澪二だけは何の勘違いもしていないが、同時に魚の研究以外のことについて何も考えていないので誤解だけが広がっていく。
この誤解が誤解の上を走る展開がずっと続いていくのが「f人魚」の世界だ。で、ヒロインたるメロが無邪気な顔で「シックスナイン! シックスナイン!」とかコールし始める。普通に考えると全編(腐った意味で)シモネタ全開なのだけど、メロのふわっとした雰囲気でなし崩し的に中和しており、BL好きでなくても笑って読めてしまうパワーがある。
このふわっとした雰囲気というのが、実はけっこうすごい。誤解というのは悲劇の典型だ。「人魚姫」もそうだが、声を失ったことですれちがい、それが悲劇的な結末へと物語を誘っていく。そういう意味で、「f人魚」は人魚というモチーフを正しく引き継いでいる。
だが、本作は誰一人として恋愛関係にないにもかかわらず、誤解の上だけで澪二をめぐって複数のカップルがキャラクターたちによって妄想されている。ここである恋愛要素は、明確なものとしては七瀬の澪二に対する恋心くらいなのだが、全編どこかイチャイチャ感満載だ。誤解をベースにしながら、宙に浮いたイチャイチャ感を醸しだし、悲劇でなく、多幸感を描き出しているというわけだ。これが案外新感覚なのだ。
その源泉にあるのは、発想がえげつないんだけど、あくまで無邪気なメロのかわいさだ。結局のところ、この多幸感はメロの純真さに裏打ちされているのだ。
そんなわけで、改めて本作を読み返した僕は、そっと本を閉じながら「かわいいから許す」とつぶやいたのだった。
(このレビューは第1巻時点のものです)
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。2012年はだいたい1000冊ちょっとマンガを買ってました。Twitterアカウントは@frog88。
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となりのヤングジャンプ : f人魚
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