「34歳無職さん」(いけだたかし)という不思議な作品がある。タイトルのとおり、34歳、無職の女性の暮らしを淡々と描いていくマンガなのだが、ダメ人間の暮らしを描くギャグかといえばそうではない。思うところあって1年間無職として過ごすことを決めた彼女は、マンガ的な突飛なキャラクターではなく、ごくごく当たり前の30代。その生活も実につましく、まともなものだ。
そんな彼女の無職生活を描くこの作品は、萌えっぽくもあれば、不安感に満ちてもいる。そして、ある面では「あるあるモノ」でもある。
一言ではうまく説明できない、「34歳無職さん」の魅力を、今回は同じく30代の男女3人で存分に語り合ってみることにした。
アラサー座談会メンバー
小林 「34歳無職さん」は1巻が出て約2カ月ということで、ちょっと変なタイミングではあるんですが、あまりに不思議な読み味で、これはちょっと話をしていろんな人の感想を聞きたいぞと思いまして。usakoさんは第一印象はどんな感じでしたか?
usako 最初はタイトルだけ見てうちのお店のもうひとりのコミック担当と、すごくダメな人のお話を期待して「取ろう!」って話をしてたんです。
小林 でも、読んでみると違うんですよね。
usako 無職感はちょこちょこ出てくるんですけどね。友達と飲んでて説教されるシーンとか。無職のときってここで描かれてるように、心配半分、説教半分みたいな感じになるんですよね(笑)。
いとう だけど、この主人公の“無職さん”ってすごくしっかりしてるんですよね。正直「世の中の人ってこんなにちゃんとしてるの!?」って思いますよね。
小林 そう、日々きちんと掃除して、洗濯して、料理して……。まぁ、やっぱり寝過ごしたりはするんですけど、基本この人はゴミ出しみたいな用事がないときでも、ちゃんと朝起きたい、起きるべきって思ってますよね。
usako 無職のときに、絶対そんなきちんとしないですよ。でも、もしかしたら無職でもちゃんとそういうことをできる人がたくさんいるのかもと思うと、なかなか「こんなじゃない」って言えないですが(笑)。
小林 その辺のリアル無職の話もあとでしましょう。僕も正直あんなにきちんとできないですし(笑)。だけど、この作品ってもし「22歳無職さん」だったら、まさにダメ人間系の話になると思うんですよね。無職というかニートのイメージに近くなったり。でも、この“無職さん”って定義的にはニートだけど、いわゆるニートのイメージとは全然違う。夢見がちな若者じゃない。この34歳って年齢設定は絶妙ですよね。
usako 就職活動をしていても、まず30歳手前でひとつ壁があって、選べる職が減るんですよね。35歳になるとまた大きな壁がドンとある感じなんです。そういう意味でもこの年齢は絶妙ですよ。
小林 とにかく1年は無職って決めているから、特に再就職のエピソードがあったり、就職関係の苦悩が描かれてるわけではないですけど、そういう年齢的な不安感みたいなものはどこか作品に漂ってますよね。で、実は先日出た記事では、作者のいけだたかし先生のコメントとして、この作品は「新たな“萌え”の形である!」って書かれてるんですね(※1)。
いとう 萌えですか。「端正な暮らし萌え」とかなんですかね?
usako ああ、女の人のきちんとした生活に萌える感じ?
小林 どうなんでしょうね。ただ、女の人から見てどうかはわかりませんが、僕としては萌えっていうのもわかるんです。いわゆる萌えマンガではないけど、この生活感あふれる感じはいいなーと思いますね。たとえば、20代、丸ノ内OLとかって、何食べてるのか僕にはうまく想像できないんですね。彼女たちって生活感を感じないんです。でも、“無職さん”の生活って、少なくともある種の手触りがある。ちょっとズボラだったりとか。
いとう こ、これでズボラですか……?
usako まぁ、本人の自覚からするとズボラですよね(笑)。
小林 とはいえ、おっしゃるとおり、実際無職でこんなにきちんと生活しないですよね、普通。1巻のあとがきでいけだ先生自身34歳の時「(ほぼ)無職」だったと書かれているので、完全な空想の産物ではないとは思いますが。
usako でも、萌えってことなら、ある種のファンタジーでもあるって割り切っている部分もあるんですよね、たぶん。これを読んだ人に「無職の女子ってこんな感じ」と思われると私はすごく困るかも(笑)。
いとう “無職さん”って、部屋の中でもけっこうきちんとした格好してますよね。ライターだったら、これでジャケット羽織ったら普通に取材に行けるくらいの感じ。しかも、すごく細かいですけど、洗濯物のカット(1巻P56)とか見るとストッキングが干してある! 私、無職だったら絶対ストッキング履かないですよ(笑)。
usako 履かないですね(笑)。無職になったときって、どこでお金だったり労力だったりっていうコストを抑えるかを考えると思うんです。そうすると、ストッキングなんて履くのも面倒だし、洗濯物も増えるし、絶対履かない。
いとう 洗濯ネットに入れないといけないですしね。
小林 “無職さん”って暮らしぶりにしても、本人は「もっとちゃんとしなきゃ」って思ってるけど、かなり「ちゃんと」してますよね。起きたのが10時過ぎで「イカンなー」とか思ってるけど、僕がこの立場だったらそもそもそんなこと思わない(笑)。今だって、フリーって仕事がない時期は無職と大して変わらないですからね。そもそもそういう時期は目覚ましかけてませんでしたよ。
いとう だけど、“無職さん”は生活の労力を減らすというより、むしろ労力をかけてますよね。
usako 労力を削るのって、女の人が生活する上で一番やりがちなことだと思うんですけど、男の人からするとそれをやられたら「単なる主婦とかおばさんじゃん」ってなっちゃう。そうならないようにしてるあたりが、もしかしたら一種の萌えなのかもしれないですね。
小林 コストという話が出ましたけど、労力だけじゃなくて、金銭的な部分も無職だと当然ありますよね。でも、“無職さん”って実は金銭面にクリティカルな問題があるわけじゃないと思いません? 「節約しなきゃ」って思ってるけど、その理由って「働いてないから」って感じで、ガチでお金がないからって感じじゃない。
usako いい意味でギスギス感がないですよね。
小林 そうそう。本当にお金に困ってるときって不安とかじゃなくて、ギスギスしてくる。「なんでこんなに金ないんだよ!」って腹立ってきたり(笑)。
いとう ものすごく悲しくなったり。「20円足りなくて欲しいものが買えない」とか(笑)。
usako コンビニでおでんを買うか散々迷うエピソードがありますけど、本当にお金に困ってるときってそもそも迷わないですよね。
小林 高すぎますもん。
いとう この人、おでんで迷ったあと、最終的にコンビニのおでんを買う以上のコストかけて材料買ってきて、自分で作ってるじゃないですか。
usako 作り過ぎちゃうくらい具材買えちゃう。さらにビールまで開けちゃって。
いとう ここでの彼女にとっての問題って、出来合いのものをコンビニで買う「無駄遣い」に対するうしろめたさであって、金銭的な問題じゃないんですよ、おそらく。
小林 “無職さん”ってすごくちゃんとした人だから、やっぱりある程度貯蓄がありそうな感じがします。それで無職になった。すごく計画的無職ですよね。
いとう 確かに。
usako 失業保険だってたいした額じゃありませんしね。34歳だと会社都合の退職で、勤続10年以上20年未満でも失業保険の支給期間って210日。1年無職として過ごすなら絶対貯蓄が必要になりますから。
小林 そういう意味でもこの生活がっていうのは極めて特殊な無職というか、すごく真っ当な社会人だった背景がないと無理。
usako だけど、すごく「あるある」って思う部分もある。ボールペンのインクが出ない話とかすごく実感あるんですよ。会社員のときって、会社がきちんとしたメーカーの文房具を買っているから、ある意味使い放題じゃないですか。でも、家にあるのって貰い物のボールペンとかばっかりで、書けなくなってたりするのばっかりだったり。こういうの、小さなことだけど、会社員じゃなくなった実感が沸きますよね。
いとう 会社勤めしてた頃は付箋とかも気軽に貼れてたけど、無職とかフリーになると「これ、300円するんだよな」とか考えちゃう(笑)。
usako 交通費なんかもそうですよね。定期があるときは気軽に区間内の駅とか使ってるけど……。
いとう 「交通費ってこんなにかかるんだ」って思いますよね。そういう意味では「あるある」的な楽しみもありますね。
いとう 私はこの作品の叙情的な部分に惹かれるんです。梨を剥きながら外の電車の音を聞いて銀河鉄道に想いを馳せたりする話とか。私が無職だったら感じられない部分だと思うんですけど。「ああ、今あの電車にはたくさんの勤め人が……!」とか考えちゃって(笑)。でも、やっぱりある種のファンタジーとしての“無職さん”の感性がいいなーと。
小林 日常の再発見みたいな楽しさがありますよね。
いとう しかも、この話って梨を剥いてるだけで1話終わっちゃう。それで面白いっていうのがすごい。共感というより、こんなふうに暮らせたらいいなって思います。
usako 本当、無職でなくても毎日こういうふうに生活したいですよね。
いとう 本を読んで過ごしたり、風邪を引いて寝込んだときもきちんと自分で体を拭いたり……。
小林 そういうところ偉いですよね、“無職さん”。丁寧に暮らしてる。お茶の入れ方なんかもすごくしっかりしてますし。お金をかけてるわけじゃないけど、ある意味すごく贅沢な生活ですよ。
いとう 現実感のある大人の休日マニュアルかもしれないですね。これ、すごくバリバリ働いている会社員の男の人とかに感想聞いてみたいんです。こういう生活をしてみたいと思うのかを。
小林 聞いてみたいですよね。これって憧れるのか、それとも「怖い」って思うのか。
usako や、でも、実際にやりたくはないんじゃないですか? 普通のサラリーマンって、週末の2日間でこういう生活を満喫してるんじゃないかと思うんです。私の場合は「クズの日」って呼んでるんですが(笑)、こういう怠惰な生活を土日でやってる。
小林・いとう クズの日!(爆笑)
usako 外にも出ず、服も昨日と同じだったりして、ずっと家の中で好きなことだけして過ごして……。気がつくと「今日1日生産的なことを何もしてないな」ってような日なんです。そういうのを休みの前の日とかから「よし、明日はクズの日!」とか決めておいて。決めておくと罪悪感が減るので(笑)。
小林 「結果クズの日」ってなるとつらいですよね。ちょっとまともに過ごそうって意志があるのに、結果的にクズの日になってしまうと罪悪感が出てくる。
usako つらい! 結果クズっていうのは自分のなかでのダメージが大きい。だから、“無職さん”の生活を1年続けるのって、やろうと思えばできるかもしれないけど、何も生産的なことをしていないことに耐えられなくなると思うんです。いっそ旅行でも行ったりしていれば、それはそれで新しい経験をしてるからいいんでしょうけど。
※1:まんたんウェブ「はじめの1巻:「34歳無職さん」 新たな“萌え”の形? 実体験に基づく女性の無職生活 – MANTANWEB(まんたんウェブ)」 作者コメントより。
(後編に続く)
記事:小林聖
ネルヤ編集長。フリーライター。Twitterアカウントは@frog88。
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34歳無職
商品詳細|株式会社メディアファクトリー
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