正しい青春劇は“ジャンプイズム”と対立する——「クロス・マネジ」(KAITO)


誤解を恐れずにいうならば、「クロス・マネジ」(KAITO)は、本来ジャンプ作品ではない。

週刊少年ジャンプには、よく知られている哲学がある。「友情・努力・勝利」というやつだ。これはすでに神話的フレーズであり、実際に全てのジャンプ作品で必ず守られている絶対の掟というわけではないだろう。だけど、ジャンプの「ジャンプ的な」という部分を、今なおこの“イズム”が支えているのも事実だ。

元サッカー部員の高校生が、ちょっとしたきっかけから弱小女子ラクロス部のマネージャーとなり、チームを変えていく青春譚である「クロス・マネジ」には、友情もあるし、努力もある。そして、おそらくスポーツマンガとして勝利も描かれるだろう。条件としてのジャンプ三原則はきちんと入っている。

しかし、一読すればわかるが、本作はものすごくジャンプ的な匂いがしない。正直にいえば、掲載誌を調べるまで、ジャンプSQ.あたりの連載作だと思っていた。

それは、決して悪い意味ではなく、むしろこの作品にとっては褒め言葉になると思っている。

というのは、ある種の青春譚というのはそもそもジャンプイズムと両立しにくいのだ。少年誌の快楽原則とマッチしないといいかえてもいい。

「友情・努力・勝利」に象徴される少年誌の原則は、全能感を補填する装置として機能している。主人公たちが、主人公として、あるべき何かになっていく、自己実現を達成するというのが基本なのだ(念のためいっておくと、それが幼稚だというわけではない。適切な全能感みたいなものは、いかなる人間にもある程度必要なのだ)。

これに対して、ある種の青春譚は、挫折を内包している。思春期、青春時代というのが、少年的な全能感を脱して新たな自己を発見する時期だからだ。それはいわば、友情・努力の先に「勝利」を見つけられなかった人たちの物語なのだ。

もちろんジャンプにもヒットした青春譚はある。「ROOKIES」(森田まさのり)などはその代表だろう。この作品にも挫折のテーマは入っているが、「ROOKIES」がジャンプ的なのは、挫折からの復活劇である点だ。つまり、彼らは何らかの挫折感を持っているものの、その挫折感を乗り越えて、改めて野球で結果を残していく。正しい「勝利」の物語なのだ。

「クロス・マネジ」の主人公は、サッカーで挫折を味わった少年だ。ただし、この作品は、その少年がマネージャーへと転身していく姿を描いている。「ROOKIES」のイデオロギーが「夢は叶う」であるとすれば、「クロス・マネジ」はもはや夢が叶わないという現実の壁にぶつかったときに人はどうすべきかを描いているのだ。挫折に直面したとき、挫折を抱えた、全能でない自分をどう受け入れ、進んでいくか。そういう正しい青春劇のテーマが、「クロス・マネジ」にはしっかりと入っている。

極めてジャンプらしからぬ作品だけれども、だからこそ、ジャンプに載っているのが面白いと思うし、同時に少年誌を卒業した人たちに読んでほしいと思うのだ。

(このレビューは第1巻時点のものです)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。2012年の年間マンガ購入数が1000冊を超えてました。読むナビさんでオススメ紹介を始めてます。Twitterアカウントは@frog88

関連リンク
クロス・マネジ|連載作品|集英社『週刊少年ジャンプ』公式サイト shonenjump.com

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