少年誌ラブコメの論理を拒絶する河合作品の世界——『とめはねっ!鈴里高校書道部』(河合克敏)


■邪道の河合克敏が王道ラブコメを展開した『とめはねっ!』

 『とめはねっ!』は、高校の書道部を舞台にした作品で、00年代後半の文化系部活マンガブームの火付け役のひとつでもある。主人公の男子高校生・大江縁はカナダ帰りの帰国子女。彼が高校女子柔道のホープである望月結希と出会い、鈴里高校書道部に入部するところから話は始まる。

 もちろん基本は書道の話なのだけれども、河合作品として珍しいのは、王道のボーイミーツガールを持ってきたことだ。望月さんに淡い想いを寄せる縁という構図が組み込まれており、望月を巡る恋のライバル・一条や、縁に好意を寄せる他校生・宮田麻衣など、恋愛関係が物語の大きな軸のひとつになっている。

 実際、ラストでも書の甲子園という大きな大会と同時に、望月と縁、一条の関係の清算が組み合わせられている。一条は書の甲子園連覇という目標を掲げて望月に告白する。柔道日本一になった望月さんと釣り合うために日本一になる、という宣言だ。

 書道の大会で勝ってヒロインを手に入れる。これはまさに(青年誌連載作ではあるが)少年誌的王道である。大会の勝敗に緊張感が生まれ、恋の決着というクライマックスも用意される。文化系部活という(少なくとも連載開始当初は)異端のフィールドで、あの河合克敏が王道をやっているという新鮮さがあった。

 この決着を河合克敏はどう描くのか、楽しみにしていた。

■河合克敏は少年誌ラブコメの論理を否定する

 そして最終巻、決着がつく。書の甲子園で縁の作品は文部科学大臣賞に次ぐ大賞を受賞する。文部科学大臣賞連覇を狙っていた一条もまた大賞で縁と並ぶ。宣言どおりに連覇できなかった一条の敗北とも取れるし、単純に引き分けともいえる。

 が、面白いのは書の甲子園と絡みつつ進んでいた恋の決着の方だ。

 書の甲子園の表彰式で一条に再会した望月は、こう語る。

「とても嬉しいんだけど……」「私、人と人がつき合うのに、“釣り合う”とか“レベル”とかって言うのって……なんか違うカンジがするの。」
「男の子と女の子がつき合うのって……一番大切なのは気持ちだと思う。」

 言葉としてはすごく当たり前のことだ。いわれた一条も当たり前すぎて腑に落ちきれずにいる様子でいる。けれど、これは「少年誌ラブコメへの河合克敏の回答」と読むこともできる。

 すでに書いたように少年誌ラブコメにおいて、何かに勝つこととヒロインを手に入れることはほぼ同義だ。たとえどんなに相手の気持ちが自分に向いていようとも、上杉達也は甲子園に行かなければ朝倉南に告白はできない。それは物語の要請であり、自分の価値への自信と不安の現れである。

 『とめはねっ!』において一条は少年誌ラブコメの体現者だった。書の甲子園で勝つ。望月結希を手に入れる。一条というキャラクターにはその2つが一体となって託されている。

 だけど、これに対する望月の回答は別のことをいっている。勝ったから・負けたからではなく、「一番大切なのは気持ち」。当人の気持ちであり、少し拡大して受け止めるなら、気持ちを裏付けする2人の関係性の問題なのだということだ。

 望月はこの段階で一条の告白を断ったが、明確に縁を選んだかといったらそういうわけではない。けれど、事実上この三角関係の勝者は縁といっていいだろう。つき合ってはいないものの、最終話やエピローグでも縁を意識している描写は続く。

 結末自体の選択はラブコメ的に当然ではあるものの、選択の理由は少年誌ラブコメの「勝利の論理」を真っ向から否定したといっていい。ヒロインは勝利の副賞、トロフィーではない、と。

 このラストで、自分のなかでずっと不思議だった河合ラブコメの謎がスッと溶けていった気がした。たぶん河合作品のラブコメ側面は、ずっと少年誌ラブコメの勝利の論理を否定し続けてきたのだと思う。勝ったからヒロインを手に入れるという、ヒロインの副賞化、トロフィー化を避けた結果が、最初からいる彼女であり、当たり前にできる彼女なのだ、と。もちろん、本当のところは作家本人に尋ねてみるしかない。けれど、作品だけを見ていくとき、河合作品は明らかに少年誌ラブコメの論理を拒絶している。

 そして、この結末はもうひとつ、物語の本線である書道というテーマともうまく融合している。書道には大会はあっても、本質的にスポーツのように勝ち負けで割り切れる世界ではない。一条の作品は書の甲子園で縁と同じ大賞を獲ったが、望月は縁との関係の中でライバル心を抱き、同時に縁の作品により強く心を動かされている。そこにあるのは作品の優劣の問題ではない。心の動きや、書道をやる楽しさという個人的な体験こそが、書道において重要なのだという結論だ。その結論は、望月が示した恋愛観とピッタリと一致している。優劣ではなく、個人的な体験と関係性こそが、本当に重要なことなのだ。

 『とめはねっ!』は本当にいい作品だな、と改めてラストを読んで思わされたのだった。

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。年間のマンガ購入量はだいたい1000冊ほど。特に好きなのはラブコメです。Twitterアカウントは@frog88

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作品詳細『とめはねっ!』 | ビッグコミックスピリッツ公式サイト -スピネット-

1件のコメント for 少年誌ラブコメの論理を拒絶する河合作品の世界——『とめはねっ!鈴里高校書道部』(河合克敏)

  • 安倍晋三はヒトラーの尻尾 より:

    いやこれただの童貞キモオタであるお前の僻みだろこれ´_ゝ`)普通に少年漫画だわ→「彼女いない歴34年であるところの僕は」「現実ではあっても、少年誌ではない。」しかもその根拠が「久米田康司」とか痛すぎ

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