物語にしか伝えられないものというのがあります。たとえば、出産の話。子どもを産んだ人が「死ぬほどつらかったけど、生まれたらもう嬉しくて、幸せで」なんてよくいいますよね。「命ってすごい!」とかね。
「命すごい」っていわれれば、「まぁ、そうだよね」とは思う。だけど、一方で未婚・子なしの男である僕は、やっぱり実感としてはよくわからないままだったりします。すごいんだろうけど、すごさの手応えがない。
「つるかめ助産院」(漫画:有田直央/原作:小川糸)を読んだら、そういうすごさの手触りがちょっとだけわかった気がするんですね。
本作は小川糸の同名小説をコミカライズしたもので、ひとりの女性が南国の離島で妊娠に気づき、出産するまでを描いています。夫が突然失踪した主人公・まりあは、彼を探しに島へやってきて、妊娠に気付く。心の準備もなく、生むべきかどうかにも迷う状態なわけです。
それは、ある意味、出産なんてちっともピンときてない僕自身と同じなのかもしれません。不安で、怖くて、フワフワと実感がない彼女が、ゆっくりその手触りを確認していく物語が、自分自身とシンクロして、ぼんやりと心の揺れが伝わってくるんですね。
そして、出産。夕方頃から始まったと思われる出産は、夜まで続きます。途中、陣痛でえらいこっちゃという状態なのに、食事をするシーンが出てくるんですが、そんな状況で食べるなんてことも知らなかった僕は、まりあといっしょに「ひえー」と思ったりするわけで。
そんな長丁場のなか、とうとう生まれるそのときがやってきます。前ページまでは、夜の薄暗いパオの中。まりあの顔も、周りの景色も薄暗く、コマ割りも細かめで緊張感、圧迫感がある。そして、ページをめくった瞬間、目に飛び込んでくる、涙しながら呆けたようなまりかの顔。白の印象が強い、すっぽ抜けたようなページ。
このページを見た瞬間、思わず涙が溢れていました。開放感なのか、安堵感なのか、喜びなのか、まったくわからない、漫然一体となった「祝福」とでも呼ぶべき感情。ほんの一瞬ではあるけれど、あの瞬間、僕はたぶん「命すごい」の中身に触れた気がします。
前後編で約130ページほどの短い物語ですので、登場人物によっては感情の動きがうまく伝わらなかったりすることもあります。もしかしたら実際に出産を経験した人にいわせれば、必ずしもリアルじゃない部分があるかもしれないし、僕の触れた「すごい」なんて嘘っぱちだといわれるかもしれません。でも、あのページはどんな体験談よりも確実に、僕に「すげえ」の手触りを感じさせてくれました。
(本作は1巻完結です)
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。Twitterアカウントは@frog88。
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