学校の世界にやってきた、一足早い“社会”――「VIVO!」(瀬川藤子)


「GTO」(藤沢とおる)、「ドラゴン桜」など、教師マンガにおける先生というのは、型破りなキャラクターが多い。

「VIVO!」(瀬川藤子)の主人公・ナカムラも変わり者だ。超個人主義で生徒に興味もないし、そもそも教師になったのも成り行きだから、早く辞めたいと思っている。仕事ぶりだっていい加減で、学校行事だって平気でサボる。

もちろん実際にいたら大問題だ。このご時世、即ネットなんかで炎上してクビになるだろう。

だけれども、ナカムラのいる学校生活はどこか心地いい。まともな教師ではないけれど、彼の周囲には変わり者やクラスで浮いているいわゆる問題児が集まり、不思議な学園生活を過ごす。その様子は、楽園的だ。

学校というのは特別な空間だ。大人でないからこその理不尽がありながら、同時に大人以上に理想論や建前主義に支配されている。もちろん学校だからこその楽しさもあるけれど、学校の価値基準で転んでしまった人にとって、その生活は苦痛だろう。大人と違って、価値も人間関係も学校というカテゴリーで一元管理されている場合が多く、「ダメだったときに逃げ込めるサブコミュニティ」が貧弱なのが現状の学校社会だからだ。

教師マンガというのは、そういうなかに別の価値や基準を持ち込む役割がある。「VIVO!」のナカムラはその典型だ。別に生徒思いではないけれど、学校的な何かを強要することもない。理想や建前を押しつけても来ない。それはある意味、大人になってからの人間関係や距離感にすごく近い。いわばナカムラは、一足早くやってきた“社会”なのだ。

ナカムラは決して立派な人間ではない。少なくとも、学校という価値基準のなかで褒められるようなタイプではないだろう。だけど、ナカムラは「それだって全然かまわない」ということを教えてくれる。いい加減だって、生きていけるんだというあり方を示してくれる。

ドラマチックに教育を変革するようなカタルシスはないけれど、あなたがもし学校(あるいは社会)に息苦しさを感じたら、「VIVO!」を読んでみてほしい。「みんなのルール」以外のルールを、ナカムラは淡々と提示してくれるはずだ。


 

(本作は全3巻完結です)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。最近、某編集部に大学時代の後輩が配属されたことが発覚し、僕の黒歴史の扉が開かれました。やりづらいです。Twitterアカウントは@frog88

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