世界の終わりとシュールギャグ……悲しいときは「オンノジ」を思い出そう——「オンノジ」(施川ユウキ)


「最近のオススメは?」と100人に聞かれて、100人にとはいわないまでも、80人か90人くらいには自信を持って薦められる作品というのがある。もちろんそれは素晴らしい作品だ。だけど、じゃあ、あくまで個人的に、自分が墓場まで持っていきたい作品は何かと聞かれたら、案外そういう作品じゃなかったりすることがある。

どれくらいの人に刺さるかはわからない。だけど、自分にとって疑いなく特別な物語。「オンノジ」(施川ユウキ)はそういう作品だ。

「オンノジ」は、不思議な物語だ。ある日突然、自分以外の全ての人が街から消える。主人公の少女・ミヤコは、ただひとりその街に暮らす人間として、無人の街でさまざまな景色に出会っていく。彼女はやがて、かつて中学生だったフラミンゴのオンノジに出会い、ふたりの奇妙な日常が描かれはじめる。

施川ユウキは一般的にギャグマンガ家にカテゴライズされる作家で、4コマである本作もベースラインはギャグだ。ミヤコがさまよう街は、普通そのものでありながら、狂った線路が続いていたり、ラップ調の消防ポスターが貼られていたりと、奇妙なギャグ世界になっている。そこで生きるミヤコも、明らかに異常な世界にいながら、おかしなところを発見しては爆笑したりと、どこか脳天気に世界を受け入れている。

だが、本作の不思議な魅力は、ギャグの文脈で描かれている一方で、すべての人が消えた街という不穏な空気を保ち続けているところにある。

たとえば、ミヤコがフラミンゴのオンノジに出会った直後のエピソード。人間だった頃の習慣で、フラミンゴになってからも犬をモチーフにしたスリッパを履くオンノジの姿を見て、ミヤコは「かわいい」と爆笑する。そこまではギャグなのだが、最後にミヤコは眠る前にその姿を回想して笑いながら、モノローグで語る。

「悲しいときはアレを思い出そう
オンノジはつくづく頼もしい」

そこには、遠くからずっと見つめているような恐ろしくて寂しい気持ちの存在がある。どんなに笑っていても、ミヤコはただ脳天気なギャグキャラクターではなく、「悲しいとき」を持っている。そして、そういうものと向き合うための、お守りのようにオンノジを思っている。

「オンノジ」の世界は、いわば世界の終わりだ。あらゆる人間が消え、最後に残った唯一の相手もフラミンゴの姿になった少年。そこは、どれほど平穏であったとしても、もはや世界は姿を変えないし、子を残すこともない。終焉を約束された世界であり、永遠に終わらない日常だけが横たわる世界だ。

施川が描いているのは、いわば絶望しか残されていない世界で、それでも幸福に生きる術なんだと思う。いや、たぶん「術」ですらない。「術」というほど、強靱な確信を持ったものではない。孤独な夜に、悲しい日に、救ってはくれるわけではないけれど、お守りのように頼って心を寄せられるもの。そういうものを、施川は描いている。

どれくらいの人に響くのか、正直わからない。少なくとも、わかりやすく物語の快感を与えてくれる作品ではない。だけど、この先、何か悲しいことがあったとき、僕はきっとこの作品のことを思い出す。本当に、つくづく「オンノジ」という作品は頼もしい。

(本作は1巻完結です)

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。2012年はだいたい1000冊ちょっとマンガを買ってました。Twitterアカウントは@frog88

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オンノジ | 秋田書店

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