アラサー版『うる星やつら』の無邪気な楽しさと不穏——『A子さんの恋人』(近藤聡乃)


 「あー、楽しい!」。『A子さんの恋人』(近藤聡乃)の感想を一言でいってしまえばこれだ。レビューとしてはしょうもない一言なのだけれど、「面白い」とか「笑える」とかでなく、「楽しい」というのがこの作品には一番しっくりくる。この「楽しさ」の感覚に近いものを考えたとき、最初に思いついたのは『うる星やつら』(高橋留美子)だった。

 『A子さんの恋人』は、不思議な作品だ。お話としては、留学前に別れようと思っていた恋人ときちんと別れられず、なぁなぁのまま留学し、留学先でも何となく恋人ができたのだけれども、そちらが本命というわけでもなく、別れるでも付き合いを継続するでもないまま、とりあえず3年ぶりに帰国してしまったA子さんの話だ(長い)。年の頃は29歳。煮え切らない性格から、結果的に恋人なのかそうでないのかわからない相手が2人いる。

 そういうあらすじだけ聞くと、かなりヘビーな作品に思える。2人の男性の間で揺れる恋物語に思えるし、アラサーという年齢も「結婚」というプレッシャーが大きな影を落としそうな設定だ。

 なのだけれども、『A子さんの恋人』はちっとも重い話ではない。不思議なくらい脳天気なコメディとして読める。とにかく人気者でA子さんの母までも味方にしてしまう「日本の恋人」A太郎の不思議な手練手管の話やら、A子さんの友人であるU子がなぜかA太郎と恋人の実家へ行くことになる話やらが続いていく。

 もちろん、A子さんと2人の恋人の関係や行く末はこの話にとって重要な要素だし、その関係の決着は物語の幕引きへのトリガーだ。けれども、まるでそれをほったらかしにするみたいに、一癖も二癖もあるキャラクターたちのコメディが描かれ、それ自体が魅力になっている。

 この感覚が『うる星やつら』だなぁと思う。『うる星やつら』はラブコメであり、学園(日常)ドタバタ劇であると同時に、キャラクターコメディだ。「あたるとラムの関係の決着(清算)」という物語の最後のトリガーは明確にあるけれど、そこに触れているようで触れないまま、毎回の話はメインキャラクターであったり、ゲストキャラクターであったりのドタバタ劇で進む。そこでは永遠の日常(かに見えるもの)が与えられる。

 『A子さんの恋人』もひとつひとつのエピソードを見ていくときは、ゆる〜いテンションで楽しめる1話読みきりのキャラクター劇だ。社会人世代のための幸せなキャラクターコメディだと思う。

■偽りの「永遠の日常」に荷担する恋人たち

 というのが「『うる星やつら』的だなー」という要点であり、最大のオススメポイントなのだが(寝る前とかに少しずつ読むと幸せに眠れるタイプの作品)、面白いのは、一方でこの話ではその「永遠の日常」が偽りであることを示している点だ。それが物語に微妙な不穏さと緊張感をもたらしている。

 実際、物語の中で着々と時間が流れているし、A子は「アメリカの恋人」であるAくんには「1年くらいで戻る」と言ってしまっている。永遠の終わりは確実に見えている。ここにある「永遠の日常」は、結論を先送りしたいA子さんの作り出している幻の永遠なのだ。そして、実は周囲の人間もその永遠に荷担している。

 たとえば、A子さんの日本の恋人であるA太郎だ。彼はたいそうな人気者で、恋心である人もそうでない人も含め、とにかく女性に好かれる。同時にどこかつかみ所がない。そんな彼が選んだA子さんは飛び抜けた美人でもないし、どちらかといえば地味なタイプだ。なぜA子さんなのか、A太郎がぽつりと語る場面がある。

「それは」「君が僕のこと そんなに好きじゃないからだよ」

 A子さんが図星を突かれてしまうシーンなのだけれど、A太郎という人の本音でもあると思う。ほかの場面でも「疑わしそうに僕を見る目」がいいと語っている。「疑ってるなと思うとホッとする」と言って、A子の友人たちに「気持ち悪い男」「めんどくさい男」と言われる。

 A太郎のこの感覚は、確かにめんどくさい。だけど、ワケのわからない、変わった感覚かというと、そうでもないと思うのだ。

 他人からの好意というものは、あたかもプレゼントかのように見えるし、好意を寄せる側も無償だと思って与えることが多い。けれど、プレゼントは常にその見返りを求めている。本人が明確に要求しなくても、そこには好意を返して欲しいという無言のプレッシャーが付加されるし、好意を寄せる人たち自身も自分を着飾ってみせる。

 たぶんA太郎は、そういうものから自由になりたいのだ。自分が好意を寄せつつ、相手は自分に好意を寄せない、見返りの好意を求めない関係を望んでいる。そして、強い好意がないからこそ、偽りのない気持ちを見られるという安心感を得たいと思っている。それは、言い換えれば責任から逃れたいという気持ちだ。一方的に愛するというのは、一途な純情かのように見えて、場合によっては究極のわがままでもある。

 そういう意味で、A太郎とA子さんは、たぶん似たもの同士なんだと思う。そして共犯者だ。A子さんは決断を先送りすることで、A太郎は一方的に好意を寄せられる関係を手にすることで、ともに「永遠の今」を担保しようとしている。

 日常キャラクターコメディとして極めてレベルが高いのと同時に、その日常に不穏さを隠し持たせる。そのアンバランスさが、独特の読後感をつくっている作品だ。

記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。年間のマンガ購入量はだいたい1000冊ほど。特に好きなのはラブコメです。Twitterアカウントは@frog88

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