「おひとりさま」「独身」というテーマは、しばしば個としての不安として描かれてきた。高齢処女系の作品がそうであるように、「仕事も順調だし、人生もそれなり。だけど、誰からも深く必要とされていない。愛されていない」というテーマだ。だから(結婚という形を取るかどうかはともかく)、1対1の関係性によって「私」を担保してくれる恋愛がソリューションになる。それはそれで孤独をめぐる問題の重要なテーマで、『東京タラレバ娘』もまたそういう側面を持っている。
けれど、『東京タラレバ娘』に描かれる不安や恐怖は、もう少し広いレンジを持っているのだと思う。おまけで作者自身が明言しているように、結婚が幸福のすべてではないし、結婚すれば幸せになれるわけではない。だから、タラレバ娘たちにとって結婚は「結果的に」救済となる可能性を持っていても、不安の源泉を取り除いてくれる万能薬では(この物語のなかでは)ないというのが、通低音になっている。
問題は、「私」を担保してくれる(ここでは女子会、もしくは「女子」という形の)コミュニティがミニ高齢化とミニ過疎化を起こして、限界集落化してしまったことであり、その段階まで来ていながら、彼女たちが「移住先」を見つけられずにいることなのだ。ここで「移住先」というのは、「移住先となる結婚相手」という意味ではない。新しい理想の私、限界を迎えた「女子」という形以外のロールモデルだ。本当のところ、「妻」「母」はその選択肢のひとつでしかない。けれど、冒頭に書いたように、(特に女性の)独身の明確なロールモデルがいまだ確立されていないことによって、出口を見失い、遭難する。結婚という伝統的な回答へと、無条件にせき立てられる。「女は結婚しない限り現役」という作中の言葉のように、「女子」のリングに立ち続けることを強いられる。
現実のなかでも、出口が見つかっていない東京の限界集落という戦場を描いているところに、『東京タラレバ娘』の恐ろしさはあるんだと思う。
記事:小林聖
フリーライター。ネルヤ編集長。年間のマンガ購入量はだいたい1000冊ほど。特に好きなのはラブコメです。Twitterアカウントは@frog88。
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