「百聞は一見にしかず」という言葉があるけれど、ときどき一聞が一見に勝ってしまうときがある。「謎のあの店」(松本英子)はそういう作品だ。
ぱっと見、営業しているんだかしていないんだかわからないお店、本当にこれで商売が成り立っているのかという商店街のしなびたお店、流行なんかとはまったく違うベクトルに振り切っているお店などなど……。気になるけど、実際に入るにはちょっと勇気がいる店というのがある。たぶん誰でも、当たり前の景色のように見てはいるけど、ついぞ入らず終いだったなんてお店があるはずだ。
本作は、そんな怪しげなお店に松本英子が実際に足を運び、レポートしたマンガだ。
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「裸で外には出られない」(ヤマシタトモコ)
笑える度:
ズボラ度(推定):
えー、女の人ってそうなの度:
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フキダシ係って何なんだろうなーとずっと思っていた。
マンガ「じょしらく」(漫画:ヤス/原作:久米田康治)において、久米田康治は一貫して自分の役割を「フキダシ係」と表現している。「さよなら絶望先生」(久米田康治)最終巻である30巻の巻末では「吹き出しのアルバイト」とまで書いている。
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本書は危険な作品である。
まずタイトルからしてヤバい。「モテないのではないモテたくないのだ!!」。
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鴨居まさねは少女マンガの新しい地平だと思う。
少女マンガは、伝統的に老いを描くのが苦手なジャンルだ。というより、加齢というテーマ自体が女性にとって難しい問題なのだ。
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「ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ ~童貞SOS~」(すぎむらしんいち)
パニックホラー度:
童貞くささ:
ギャグなシリアス度:
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「ミシンとナイフ」(志村志保子)には静寂の音が鳴り響いている。
今回取り上げている「ミシンとナイフ」は、もともと刊行されていた「ミシンとナイフ」と「ブザー、シグナル ゴー ホーム」の2冊の単行本から選んだ作品5本と未収録作品1本を収録した文庫版だ。いずれも古い作品で、もっとも新しい「ランゲルハンス島まで」でも14年も前の作品になる。
だけど、少しも古びていなかった。
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読んだ瞬間「あ、この作者、病気だな」とわかる作品があるけれど、久々にカバーと帯を見ただけで「早急に治療が必要だな」と思える作品に出会えた。「この○○がエロい!!」(金平守人)だ。
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生きていると、毎日必ず何かが起きる。楽しい出来事もあれば、そうでない出来事もある。私の個人的体感データでは、絶対的に後者のケースが多いと思うのだが、この比率が逆という幸せ者もいるのだろうか。
でも、もう大丈夫。嫌なことがあったら、MSCという会社のお世話になればいい。「メモリー・セーブ・キャンディー」で、嫌な記憶を脳からごっそり削除してくれるのだ。保存もできるから後で元に戻すことも可能だし、第三者への移植も可能。価格は、たった10万円――。
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小説のコミカライズはいまやそれほど珍しいことではない。小説は読まなくてもマンガなら読むという人もいるだろうし、原作の世界をビジュアライズされた形で見てみたいと思う人も多いだろう。
ただ、星新一のコミカライズというのはちょっと特別だ。
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「ぼくらのフンカ祭」(真造圭伍)の帯では「21世紀も青春と友情は健在だ!!」と高らかに宣言されている。そのとおり。真造圭伍は、青春物語の天才だ。これだけでレビューを終えてもいいんじゃないかとすら思う。
2人のボンクラ高校生が、冴えなくて、でも思いっきりバカな高校生活を送る。シンプルに説明すれば、「ぼくらのフンカ祭」はそんな物語だ。だが、そのボンクラさはかけがえがなく、愛おしい。そういう真造圭伍の輝かしさについては、本作と同時に発売された「台風の日 真造圭伍短編集」のレビューですでに書いているので、別作品ではあるが、そちらを参照してもらえばいいと思う。
さて、「健在だ」と宣言されているとおり、本作に描かれている青春像は、普遍的なものといっていいだろう。だが、一方でたぶん真造圭伍の青春は時代的であり、ちょっと新しい。今回はそういう、真造圭伍作品の実は新しい部分を探ってみようと思う。
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「路地裏第一区 —ムライ作品集—」(ムライ)
独創感:
叙情感:
異形度:
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その昔、主にレコードの世界で「ジャケ買い」という文化があった。当時は試聴もできないから、シャレたジャケットを見せて販売につなげようとする、売り手サイドの作戦だ。
これが今や、出版の世界でも当たり前になっている。たとえば、太宰の「人間失格」。まずは「DEATH NOTE」の作者・小畑健氏のイラストを表紙に使ったらさっさと文庫ランキング入りし、その後映画化に伴ってジャニーズの生田斗真を起用したらまたバカ売れ……みたいなことが繰り返された結果、内容とは直接関係のない表紙が成立するようになったのである。
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たぶん、今多くの女の人にとっての理想は、「女子」なんだと思う。なんだかんだと揶揄されることもある言葉だが、「女子力」「女子会」「○○女子」と、00年代後半以降の女性像、そのモデルケースにおいて「女子」という言葉の存在感は大きい。「女の子」ほど甘ったるくなく、「女性」ほど冷たい響きでもない、「女子」という言葉のさじ加減がちょうど良かったのだろう。
なんでそんな話をはじめたかというと、「ひばりの朝」(ヤマシタトモコ)が「女子」の対極の物語だからだ。
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「尋ネ人探偵」の名前で連載され、その後改題して講談社から出版された衿沢世衣子の「ちづかマップ」が、新シリーズになって帰ってきた。現在小学館から刊行されている「ちづかマップ」(衿沢世衣子)は、タイトルは講談社版と同じだが、その後月刊flowersで連載されたエピソードを収録した完全新作だ。
帯で「街再発見コミック」と銘打たれているように、本作は女子高生・ちづかが古地図とともに東京をはじめとした街を散策する物語。同じ東京でも、大正、明治、江戸時代など、さまざまな時代の地図と照らし合わせながら歩くことで、歴史とともに街の風景を再発見できるというわけだ。
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“少女性”をめぐる問題は、男性で問題になることはほとんどなかった。“少女性”なんだから当たり前だと思われるかもしれないが、ここで僕がいう“少女性”というのは、実のところ女性に限った話ではない。
セクシャリティから切り離された子ども時代から、自分が性的な存在であることを受け入れた大人になるまでの、セクシャルでありながらセクシャルでない状態を僕は“少女性”と呼んでいる。自己認識としてはまだセクシャリティを受け入れきっていないが、身体的にはすでにセクシャルな対象として他者から視線を投げられる、そういう状態だ。
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「エア彼」(大久保ヒロミ)
イケメン彼氏度:
妄想度:
ネガティブ思考度:
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細田守じゃないかなぁ、と思った。「千年万年りんごの子」(田中相)を映像化するなら、という話だ。
「おおかみこどもの雨と雪」の公開直後にこういうことを書くのは我ながらあまりにも安直だなと思うのだけど、「見てみたい」とパッと浮かんだのは、やっぱり彼なのだ。
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悪女モノだと聞いて読み始めた。「蜜ノ味」(元町夏央)は、市橋ミツカという女性の中学時代から結婚までを、さまざまな男たちの視点から切り取った連作作品だ。そこで描かれるミツカは、たしかに奔放だし、セルフィッシュであることに悪びれないから、「周りをメチャクチャにしないと生きられないのは病気だよ」と登場人物の一人、喜多ユウキくんにも指摘されちゃう。でもね、ある意味ユウキくんは間違ってると思うんだよな。
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「女と猫は呼ばない時にやってくる」(小池田マヤ)
大人のオンナ度:
食欲刺激度:
キュンキュン度:
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タイトルの「8」とは、渋谷駅前でご主人さまを待ち続けた忠犬のことではなくて、1話が8ページ単位であという意味。シンプルだしクリアだしわかりやすいのだが、悪くいえばヒネリなさすぎのタイトルである。
ところが、中身のほうは正反対。「羊の皮をかぶった狼」というか、シュールというかパンクというか、内村航平の必殺技3回ヒネリをはるかに上回る超絶ギャグの雨あられ! そのキョーレツさは、最初の3話分のタイトルだけを見るだけで伝わんじゃないか。
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