古今東西、人の死を扱った作品は無数にある。本作、「まじめな時間」(清家雪子)もそのクチだが、何よりこのタイトルにそそられる。だって、このジャンルの映画でまず思い浮かぶものといったら、デミ・ムーア主演の「ゴースト」。あまりにも、まんますぎるタイトルじゃありませぬか。その点だけでも、こっちの勝ちである(今はオリンピック開催中だから、どうしても「勝ち負け」って感覚になっちゃうのだね)。
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歴史好きっていう人種は、何かと歴史モノ作品にうるさい。ちょっと有名人を描けば、やれ「時代考証的に衣装がおかしい」とか「史実に伝わる○○の体格はもっとガチムチのはずだ」とか言い出し、合戦シーンや城攻めが出てくれば「当時の部隊構成としては……」「永禄年間の城なのに切込み接の石垣とかwwww」とか言い出して、周囲にウンザリした顔をされるのだ。まことタチの悪い連中なわけでございます、歴史オタク(特にニワカ)は。
何か歴史オタクに恨みでもあるのかという感じだけれど、そうではない。だって、僕自身がそういうニワカ歴史オタクなのだから。ああ、学研の歴史群像のムック(いわゆる赤本)とか読んでしたり顔してるような高校生だったよ!
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どー考えたって結末は読めるのに、最後まで楽しく鑑賞できるタイプの作品がある。映画なら、かの「007」が代表格に当たる。何でもできちゃう無敵のジェームズ・ボンド君が活躍し、どこかの巨悪を叩き潰す物語である。途中、「んなアホな」なシーンがいくら連発しようとも、礼儀正しい観客はツッコミを入れちゃいけないルールに縛られている。ま、たとえば恋愛モノだって、主役の2人が艱難辛苦を乗り越えて最後にはめでたく結ばれるのだから、結末判明ストーリーにカテゴライズしていいわけね。
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全国の「じれったい恋」愛好家の皆さん、胸キュンの準備はいいだろうか。今日はレビューではない。朗報だ。「日々蝶々」(森下suu)は必ずやあなたをキュンキュンさせてくれるはずだから。
とまぁ、興奮気味に書き始めてしまったが、それくらい圧倒的な初々しさなのだ。
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青春、モラトリアム、オフビート……。真造圭伍作品はそんなフレーズで表現されることが多い。「台風の日 真造圭伍短編集」(真造圭伍)の帯では、松本大洋が「いつまでも終わらない夏休みのような」と評している。
彼の単行本デビュー作である「森山中教習所」を読んだとき、真っ先に思い出したのは「バタアシ金魚」(望月峯太郎)だ。「バタアシ金魚」の主人公・カオル君ほどテンションの高いキャラクターや物語ではないのだけど、読後感や作品に流れる空気は妙に似ているのだ。
この2作の共通点は、(いい方は悪いが)たぶんキャラクターたちのボンクラ感なんじゃないかと思う。
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主人公は川畑菫(かわばた・すみれ)ちゃん10歳、ハリポタ好きが高じて伊達メガネを愛用している小学4年生である。
両親は離婚していて、36歳の母親と一緒に暮らしている。レストランで働く母親の時給は900円。つまり裕福ではなく、どちらかといえばビンボーにカテゴライズされるといっていい家庭だ。
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医療の世界に「ジェネラル・メディスン」というものがある。
まず内科と外科があり、続いて眼科とか耳鼻咽喉科とか皮膚科とかに分かれているのが一般的な総合病院の診療科だが、そういう垣根を全部ガラガラポンして取っ払った診療スタイルのことを指す。日本語に訳すと、まんま「総合医療」といい、それをする医師を「総合医」と呼ぶ。
その世界、あるいは近似的世界を扱ったコミック作品に、「Dr.コトー診療所」(山田貴敏)がある。あれは離島の診療所が舞台で、島民が少ないとはいえ医師も一人きりだから、当然ながら総合医療をするしかない。内科も外科も診なければならないし、高齢の患者もいれば子どもの患者もいる。妊婦がいれば、分娩も扱う。
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精緻なタッチで描かれたマンガが好きである(逆にいえば、美しくないマンガがニガテということだ)。これは画風やキャラの顔がどうこうではなく、単純に絵や画面構成の話である。デッサン狂いまくりのマンガなんかは、それだけでパスしたくなる。
その点で、画面が死ぬほど美しい本作、「幽麗塔」(乃木坂太郎)には心底ホレボレする。テーマが殺人事件であるため、ひたすら暗いコマが連続するのだが、その暗さを微塵も感じさせない。なぜなら、計算されつくした絵と画面が美しいからである。独創的なコマ割りのリズム感も心地いい。
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物語にしか伝えられないものというのがあります。たとえば、出産の話。子どもを産んだ人が「死ぬほどつらかったけど、生まれたらもう嬉しくて、幸せで」なんてよくいいますよね。「命ってすごい!」とかね。
「命すごい」っていわれれば、「まぁ、そうだよね」とは思う。だけど、一方で未婚・子なしの男である僕は、やっぱり実感としてはよくわからないままだったりします。すごいんだろうけど、すごさの手応えがない。
「つるかめ助産院」(漫画:有田直央/原作:小川糸)を読んだら、そういうすごさの手触りがちょっとだけわかった気がするんですね。
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ここのところ、月刊少年マガジンがとにかく熱いんですよね。もともと「capeta」(曽田正人)みたいな作品もあり、熱血系のイメージはありましたが、本格三味線マンガ「ましろのおと」(羅川真里茂)あたりから立て続けに熱い文化系作品が出てきている印象が強くなりました。ピアノ少年を主人公にした「四月は君の嘘」(新川直司)も、さわやか・切ない系ながら、根は熱いですしね。
そんなところに出てきたのが競技ダンスマンガ「ボールルームへようこそ」(竹内友)です。1巻を読んだ時点で「また別マガに熱いのがきたかー」くらいに思っていたんですよ。競技ダンスって熱いスポーツなんだ、と。
が、2巻を読んでガラッと印象が変わりました。これは……競技ダンス、エロい!!!
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ずいぶん前に、友人の母親に聞いた話がある。彼女はすでに鬼籍に入られたが、生前は競技ダンスの選手だった。もちろんアマチュアではあるけれど、その世界ではわりと名前を知られた存在だった人だ。
そのときの話で驚いたのは、社交ダンスの一部である競技ダンスは、もはやダンスであってダンスではないという部分だった。つまり、“美”を追求していたものが時代とともに変化し、アクロバティックであればあるほど賞賛される“スポーツ”になってしまったのだという。当然、選手はみな若く筋骨隆々のアスリートばかりである。
そんな競技ダンスの世界を描いたのが本作、「ボールルームへようこそ」だ。
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フランス語のジビエは、狩猟によって捕獲された鳥獣のことらしい。簡単にいえば野性肉のことで、文字どおりグルメな人たちの垂涎の的である。日本にも専門店があるぐらいだから、確たるニーズがあるということだ。食べた経験はないが、うまいらしい。
何でもそうだが、人工モノより天然モノのほうが美味なのは当然といえば当然だ。身近なところでは、ウナギ。生まれて初めてガチの天然ウナギの蒲焼きを食したときには、「今まで食ってたやつは何だったんだ?」な感覚を覚えたものである。それぐらい違う。
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「ふるさとは遠きにありて思ふもの」なんて詩がありますが、親元を離れての一人暮らしが長くなると「家族」というのがふと温かく甘美な何かとして心に浮かんできたりします。「あ~、結婚でもしてえなぁ」とか、「灯りの付いてる家に帰りたいなぁ」みたいなね。
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ボーイッシュで女子にモテる“女子校の王子様”というのは、もう少女マンガの定番中の定番なわけですが、実をいうと個人的にはあまりハマッたことのないジャンルだったりするんですよね。女の子が極めて異性的に女の子に憧れるというのが、男の僕には少しコミットしにくい感情なのかもしれないな、と半ばこのジャンルに関しては諦めていたのですが、いや、まさか。こんなかわいい王子様に出会うとは。
いや、もう「愛しの可愛い子ちゃん」(サトーユキエ)の主役・十郎澤潮ちゃんがかわいくてかわいくて、今身悶えております。
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カバー裏に描かれた、水平線に浮かぶ孤島と高い高い入道雲。決して立ち入ってはいけない島の聖域。いたはずのない翼竜の化石。そして、カバー表にはアイスキャンディ(アイスクリームでもソフトクリームでもなく、アイスキャンディ!)をくわえた少年2人……。
こうやってちょっと並べただけでもうワクワクしてきませんか? これぞ正しい“夏の冒険”っていうのが、「南国トムソーヤ」(うめ)には詰まっているんです。
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「入り口があって出口がある。大抵のものはそんな風にできている」。「1973年のピンボール」(村上春樹)の有名な一節です。作中でも「出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない」と書かれているとおり、入り口を描いてしまったからには物語は万難を排して出口に辿り着かないといけません。
謎という入り口があれば、物語は必ずそれを解き明かさなくてはいけないし、涙や笑顔という感情の出口があれば、物語はその理由、入り口を物語のなかで描いていなければなりません。入り口と出口、そのすべてを物語のなかに閉じ込め、描ききる。それは物語の宿命であり、義務であるといってもいいでしょう。
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ダンナの事業の失敗からスカトロAVに出演し、子供の頃からの統合失調症が悪化、それでも子供を育て……。そんな日々をあけすけともいえる素直さで綴ったエッセイマンガ「実録企画モノ」「新家族計画」の卯月妙子が10年ぶりに「人間仮免中」を出版した。
「人間仮免中」では前作以降の日々が綴られる。ダンナが死亡し、閉鎖病棟と自殺未遂を経験した後、それでも落ち着いていた36歳の卯月が、ボビーという25歳年上の男性と恋人同士になる。細かなエピソードの積み重ねで綴られる二人の生活は、もちろん前作同様、決して平坦な日々ではない。が、そんな日々を卯月は、これまでの作品よりもよりあっけらかんとした湿度の低い口調で綴っていく。
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「16歳の女子高生が、28歳のサラリーマンを好きになったらだめですか?」。
完結巻である「たまりば」(しおやてるこ)2巻の帯にはそんな問いかけが入っています。それで僕は思わず、うーん、と唸るわけです。15年、いや、せめて10年前、21歳の僕なら「いいだろ」って即答していたんじゃないかなぁ。もしかしたら、そんなことを問いかけること自体バカバカしいと切り捨てたかもしれない。「年齢で好きになるわけじゃないだろ」って。
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マンガにおいて「中二病」というのは、すごく不安定なフレーズだったりします。
「中二病マンガ」という場合、おおむね「中二病っぽい展開のマンガ」と「中二病のキャラクターが登場するマンガ」に分かれます。
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タイトルを見た瞬間「クソ、負けた」と思わせる作品ってありますよね。一体何に負けたのか、僕が何と戦ってるのかはわからないんですけど。
今回ご紹介する作品がまさにそれです。だって、「ジョナ散歩」ですよ? 主人公がジョナサンで「ジョナ散歩」。思わず声に出したくなるこのタイトル。しかも、このジョナサン、妖精ですから。この小太りでメガネをかけた、手のひらサイズのオッサンが。つまりどういうことだってばよ。
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時事社会ネタ、風刺ネタというのはギャグの定番のひとつです。「笑い」自体が、常識や現在の価値観を少しズラすことで生まれると分析されたりもしますし、風刺は笑いの基本中の基本ともいえます。
しかも、商業誌でやる風刺ギャグって本来の風刺的面白さだけじゃないでしょ? そう、チキンレース的スリルもあるわけです。
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正直にいうと、もうジャンプ作品で熱くなることなんてないと思ってたんですね、僕。立派な大人ではないにせよ、さすがに31歳ともなると、少年誌って年じゃないですから。頑張ればかめはめ波打てるようになるんじゃないかとか、風呂場で気をためてみたりしないわけです。自分より強いやつに会ってワクワクしたりする少年の気持ちとかもう全然理解できない。「住民税たけえな!! オラ、ワクワクすっぞ!!」とかいえない。普通に負けて死ぬ。
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少女マンガを読みたくなるときってどんなときでしょう? もちろんひと口に少女マンガといっても多種多様ですから、そんなもんに決まった答えはないんですけど、それでもやっぱり「キュンキュンしたい」とか「ドキドキしたい」とか、あるいは「泣きたい」とか、そういう作品が少女マンガの王道だと思います。
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女子校を舞台にしたマンガというと「お姉様、ごきげんよう」的な世界だったり、何かこうキャッキャウフフとした作品が多く、そのイメージで実際の女子校出身者と話をすると「おめでてえな」って顔をされるものですが、男子校を舞台にしたマンガも意外と同じようなギャップが多いんですよね。女の子が男を装って男子校に入学する「花ざかりの君たちへ」(中条比紗也)とか、フランスの全寮制男子校が舞台の名作「トーマの心臓」(萩尾望都)とか、パッと思いつくところだとかなり華やかな少女マンガが多かったりして。
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なーんで、こう門出というのは泣けるのか。結婚式ってまぁ、たいがい新婦が両親への手紙で泣くでしょう? そんで、それ聞いてる親御さんが泣いて、そしたらそれにつられて新婦の友人一堂が泣き始めて、「いやー、泣いてますなー」とか思って隣の席の男友だち見たらそいつも泣いてて、いや、お前は新婦全然知り合いじゃないだろ、っていうかつい2時間ほど前に初めて会った人だろ、とかいう感じで、すすり泣く人々だらけの会場で所在なく立ち尽くす31歳、僕。
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いやー、ムーコがヤバい。ムーコに出会ってからというもの、胸のときめきが止まらない。ムーコ、マジ天使。
とまぁ、いきなりまったくレビューと呼べないような思いの丈を叫んでしまったわけですが、「いとしのムーコ」(みずしな孝之)の主役である柴犬のムーコはそれくらいかわいいんです。
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金はないけど時間だけはたっぷりあって、友達と日々くだらない話をしたり、バカな企みをしては失敗し、まるでそんな日々が永遠に続くように思いながら過ごす……。バカバカしいのにどこかセンチメンタルで、ちっとも冴えない日々なのに輝かしい、そんな風景が日本の青春劇のひとつのイメージです。
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